中国茶的日々

2005年に上海田子坊で中国茶の店『臻茶林』を始める。北京南鑼鼓巷、浙江省烏鎮、江蘇省天目湖に支店。

六、四国遍路の旅(5)高野山 その一

ケーブルを降りて、まっすぐ奥の院に向かう。

参道入り口に立ち、一礼して入る。

参道は広くて、道沿いにぎっしりとお墓がある。

 

墓石には日本史に名を留める人たちの名が刻まれていた。

他には誰もいない。

背中の荷物のきしむ音と虫の声しか聞こえない。

地下で眠る先人たちを偲びながらゆっくり進む。

 

お、汗かき地蔵さんだ。

僕を守ってくださるお地蔵さんじゃないか。

 

奥の院についた。

懐の十円玉を集め、お線香を買う。

 

おなかがすいた。

よし、お大師様と一緒にあれを食べよう。

カバンの中から後輩にもらったカンパンを取り出す。

残り少ないのでお大師様に二つ。

御影堂の前の、様々なお供物の間にのせる。

 

南無大師遍照金剛

 

日もとっぷり暮れてしまっている。

夏なのに、少々肌寒い。

今夜はここで寝る。

 

 

朝5時半にお寺の鐘が鳴った。

起きて、一晩お世話になったお礼に公衆便所を掃除することにした。

 

気合いを入れて三時間。

それから納経所に行き、仕事をいただきながら旅をしているお話を聞いていただいた。

 

「あそこにいるのがお偉いさんや。あの方に聞いて見なさい。」

 

その方のところへ行き、お金はいらないので弘法大師様の前で仕事をさせていただけないかどうか伺ってみた。

 

「そうか、仕事ないな。ただで泊めてもらって仕事ももらおうなんて身勝手な話しだ。」

 

え?

 

(写真は永平寺)

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六、四国遍路の旅(4)車中

あの山奥に鉄道を敷設した南海電鉄に改めて敬服した。

山奥の奥の奥の・・・そのまた奥の高野山。

電車がギシギシきしみながら、曲がりくねった道を登って逝く。

 

いくつものトンネル、トンネルを抜けると、数十メートルの谷に橋が架かっていて、その橋の終点にはまたトンネルがある。

そこも抜けると、崖に沿って走り、崖の途中に駅がある。

民家は・・・何と、百メートル近く崖下の谷間に集落がある。

最終駅“極楽橋”には民家は見えない。

 

なぜ、ここまでしか行かないのか。

勾配30度以上あろうかというケーブルカーが待っている。

スキーでは滑れそうにない。

 

本当にこんな山中に寺があるのか。

 

驚き通しである。

 

途中から乗ってきたご夫人が、網棚の上に箱をあげた。

遠くから見たところ、『ミスタードーナツ』かなにかの箱だ。

しばらく気にも留めなかったが、かなり奥の小さな駅で買い物の荷物とその箱を持って降りた。

 

なるほど、あれは子供たちへの街の香りのお土産だったのか。

 

田舎の子供には、ケンタッキーとかドーナツとか、ああいった類いのものは特別の思い入れがある。

僕も小さい頃、札幌へ行ったら一度は必ずケンタッキーに連れて行ってもらい、街の味を味わって満足したものだ。

きっとみんな大喜びだ。

子供たちの顔が目に浮かぶ。

 

高野山は金剛峰寺の『奥の院』に弘法大師は鎮座まします。

四国札所八十八カ所は、大師の足跡を印したところだ。

順番に寺を回り、お経を上げ、お札をおさめて、帳面に納経していただく。

 

僕も出発点を和歌山の高野山とする。

『同行二人』の旅といわれるが、それは自分とお大師様と、二人で歩く意である。

まずお大師様にお会いするため、奥の院参拝から始める。

そこから一緒に歩いてくださるのである。

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六、四国遍路の旅(3)名古屋

名古屋駅について、残りのお金できしめんを食べた。

 

おまわりさん、住宅街はどちらでしょうか?

 

名古屋の駅を出たが、どこへ行けばいいのかわからない。

駅前は、地方都市とは思えないような太い道と、ビルや商店しかない。

ここで仕事をしないと、先へ進めない。

 

名古屋というと、僕には独特の先入観がある。

自分の数少ない体験で判断するのはおこがましいが、他所者を受けつけないというか、地元意識が強いような気がする。正直言って、名古屋で仕事がいただけるかどうか非常に不安だ。この偏見を払拭する出会いがあるといいが。

 

こんにちは!突然ですみません。実は・・・

 

「うち、もうすぐ壊すんです」「他あたってください」「今、忙しいの」「お盆だからねえ」

 

もうこれ以上やっても駄目だ。

気持ちが暗くなってしまう。

 

旅館みたいな建物があったので、最後に飛び込んだ。

奥様は、今から出かけられるところだった。

仕事はいただけそうもないが、障子の破れているのがあるそうなので、これも何かの縁だと思い、「障子紙だけ置いて行きます」と申し出た。

 

これから出かけますけど、すぐ帰りますから、直しておいてくださいますかしら?

 

この土壇場で仕事をさせていただけるとは!

窮すれば通ず。神様!

 

最初は補修だけの予定が、どんどん増えて、作業は夜9時までかかった。

 

「お昼どうぞ」「今晩寝るところは?」「泊まって行きなさい、晩ご飯用意しますから」「お風呂入って、朝はゆっくりおやすみなさい。お昼にお弁当作ってあげますから」

 

情けのこもった言葉が次々とかかる。

砂漠にオアシス、地獄に仏。

 

ご主人はお忙しそうで、帰るとまたすぐに出かけられた。

お話もできずに、ご挨拶だけさせていただいた。

夜に奥様が、ご主人からとパーカーのペンをくださった。

箱の中に名刺があり、「名古屋市議会議員」と書かれていた。

 

朝は少し早起きして、庭を掃いた。

ご主人の出かけられる前に、ご挨拶させていただいた。

「うちは子供がいないから」と、そればかりおっしゃる。

お礼の言いようもない。

お昼のお弁当をこしらえていただいて、バスで大阪ヘ行き、なんばから南海電鉄で高野山に登った。

 

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六、四国遍路の旅(2)小田原

小田原の海は大しけである。

怖くないのか、子供たちは大波と戯れている。

 

いい天気だ。

右には伊豆半島、左には湘南海岸が見える。

前は水平線、その向こうも水平線。

ずーっと向こうにはアメリカがあるか。

 

海は昨日までの雨のせいか濁っている。

ここはいい天気だが、東京方面に低い雲が足早に流れている。

向こうはどうだろうか。

 

終点の小田原に着いたとき、電車の中で眠っていた。

ある紳士が起こしてくださった。

僕だったらわざわざ電車の中まで他人を起こしに行くだろうか。

お礼を言って、話し始めた。

 

その方は毎朝お経を唱え、週に一度は二万百字もある観音経をあげる。

二度の戦争に行かれた時、お母様にいただいたお守りを持って行き、無事帰られた。

戦後数十年経って、初めてその中身が米粒ほどの大きさの文字でぎっしりと書かれた観音経であることがわかったそうだ。

亡くなられたお母様の「他人には優しくしなさい」という言葉が、今も頭の中から離れないとおっしゃった。

 

海の監視員の真っ黒い顔の男性に話しかける。

昨日までは3つ低気圧が並んでいて、今日は一つは北海道へ、一つは大阪の方へ行ったので、ちょうど真ん中のここだけ良い天気なのだそうだ。

なんという幸運。

それに、昨日中止になった大松明が今晩7時からある。

海の霊を鎮めるお祭りだそうだ。

どうせ急ぐ旅じゃなし、一日くらいいても良いだろう。

それにしても、監視員は黒人みたいだ。

 

かなり大きな松明だった。

10メートルくらいあろうか。

最初上の方に火をつける。

あとで下から点火して、全体が火に包まれて行った。

正面の空は星が輝き、東京の上空では雷雲が稲光りしている。

波は高く、海岸で白く砕けて2メートルくらいも躍り上がる。

左右には沿岸の街の灯りが点滅している。

火柱の両脇には古くなった卒塔婆が燃やされ、海に流された灯籠が波間に見え隠れしながら少しづつ沖へ向かう。

 

火をつけた線香は砂浜に絵や字を書くようにたてて遊ぶ。

それが供養なのです、と説明された。

数年前に海で遭難した友人の父に手向けよう。

線香で彼の名前を書いた。

 

夜は閉店後の海の家の縁台で波の音を聞きながら寝た。

夜中に若い男に起こされた。

 

誰だ?どっからきた?

 

ねじり鉢巻の男はいろいろ聞いてきた。

 

ほう、そうか、気に入った!実はおれも家がボロいから小さいときから暑いときは浜で寝るんだ。朝方は寒くなるから、ほら、毛布持ってきてやったけど、寝袋あんならいいな。じゃ、おやすみ。

 

 

あるだけのお金で切符を買った。

名古屋までだった。

 

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六、四国遍路の旅(1)東京

寮を出て三日目。

 

出発のときから降り続いている雨は一向にあがる気配はない。

二日間、30キロの荷を背負い都内をうろつき回ったが、まだ勝手がつかめない。

荷物はだんだん重くなり、気持ちも沈んで行く。

出がけにいただいたたくさんのおにぎりも底をついた。

まだ東京を出られない。

 

今朝から何軒か廻ってみたが駄目だ。

神社の軒下で雨宿りをしながら、後輩たちがくれたビスケットで朝食。

あまり食欲がない。

 

鳩がきた。

食卓はにぎやかな方がいいので、砕いてやる。

するとどんどん増えてきて、雀までやってきた。

足がしびれたのでひょいと立ったらみんな逃げてしまった。

じゃあ行こうかと、目の前の家に声をかけたら神主さんのお宅だった。

 

私:おはようございます

 

どうぞ

 

遠くから声がする。

障子で仕切られていて見えないが、かまわずふすまキャラバンの主旨をお話しした。

 

ちょっと見てくれ

 

声が近づいて来たときはドキドキした。

教室の押し入れ4枚と洗面所の壁紙のご注文。

ありがたい!やっと仕事をさせていただける。

お昼にはそばを、三時にはアイスクリームとお茶を差し入れしてくださった。

昨日までの八方ふさがりの心境が一転して天国にいるようだ。

 

あとで伺ったところによると、この教室は今年中に取り壊す予定になっているそうだ。

仕事を終え、お金をくださる時、なぜすぐ壊す部屋のふすまを僕に張りかえさせてくださったのか聞いてみた。

 

君を応援したくて

 

神主さんはおっしゃった。

 

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ふすまキャラバン

中国に来て14年。

身一つで転がり込み、文字通りゼロからのスタート。

こちらに来てから家を成し、事業を成し、今がある。

 

少なからぬ人から、中国人は信用できないとか、騙されたとか、そんな話を聞く。

ただ、私の場合は人を信じることによってこれまできたように思う。

小さい頃祖父が言っていた、「騙すよりは騙される方がいい」という言葉が今も心に染み付いている。

 

事業を進める方針も、 いかに相手から有利な条件を引き出し利益を上げるか、ということよりも、 いわゆる『三方良し』、お客様も喜び、スタッフも喜び、それが社会にとっても有益であるという前提で歩んできていると思う。

 

なぜだろう、私の周りには信頼できる人しか縁が続かない。

腹に一物あるような人は近づいて来ないか、きても自ずと離れてしまう。

恐らく、 人というのは臭いがあって、 同じような臭いのするところに引き寄せられる習性があるのではないか。

 

私が東京に住んでいる頃、 早稲田大学ホームサービスグループに所属していた。

そこで私はふすまの張り替えなど内装の仕事で学費や生活費をみんなで稼ぎ、 堀越先生の薫陶のもとで学生生活を送った。

 

打算を捨てろ

 

よく先生がおっしゃっていた。

今の世の中、「夢を持て」とか「目的に向かって計画的に行動しろ」という言葉にうなづく人が多いが、私はあえて言う、「夢や目的なんて捨ててしまえ!」

 

目の前の課題に全力で取り組みなさい。道は自ずと開ける。

 

今しなければならないことを真剣にやっていれば必ずそれが次のステップを導いてくれる。

どんな難題も、乗り越えたあとにはそれは自分の大きな力になっている。

だから、夢や目的が定まらないというのは決してかっこうわるいことじゃない。

逆に、課題を解決してゆくうちに自ずと夢や目的は生まれてくるものだ。

 

グループ時代に『ふすまキャラバン』という企画があった。

ふすま張りの道具と多少の材料を担いでお金を持たずに各自の目的地まで旅をする、という企画。

このふすまキャラバンが私の信念、堀越先生の『打算を捨てろ』という教えの象徴ともいえる。

 

メンバー数人の旅の記録を集め自費出版した、私にとっても唯一の出版物である。

いま、 現代の若者(日本人中国人問わず)に一つの生き様を伝えんと思い、完成された出版物を電子文字にして新たな命を与えたい。

同時に自分の若き頃を追想してみたくなった。

                              2016/4/8未明

 

早稲田ウィークリーの記事

http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2011a/1247/247e.html

 

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スマホがないと成り立たない中国

今週から小学一年生の宿題の一部がスマホのアプリになった。

英語の単語や単文の発音練習、アプリを開いてサインインし、スマホの発音を聞いて自分も発音する。それは録音され、先生もチェックできるというシステムらしい。

今の中国では、スマホがないと子供の宿題ができない。

上の子が入学したときにはまだ携帯の一斉メッセージで先生からお知らせがきたが、

今では全てwechatに切り替わり、クラスのグループに属さないといろいろ都合が悪い。

中では専業主婦のおしゃべりから先生の一言にいかに早くお返事ヨイショをするかという世界で私は見たくもないので家内にお任せしてる。

スマホは便利、の時代からさらに今やスマホがないと困る時代になった。

 

そんな中でも中国らしくておかしいのは、

英語の教科書を購入したときについている副教材がなんとカセットテープという前近代的なシロモノ。

ビデオテープの時代を経ずしていきなりdvdが普及した中国、固定電話をすっ飛ばして携帯が必需品となった中国で、いったいどこの家庭にカセットテープレコーダーがあるというのだ?

ラジカセなんて日本でも死語、中国でなんて生まれさえもしなかった言葉。

恐らく99%の上海の家庭ではテープではなく教科書のサイトからダウンロードするなりオンラインなりで聞いていると思う。

しかし、それでは毎日聞いているかどうかは先生も把握できない。

こういうアプリになると誰がやってないかすぐに先生にわかってしまうので一定の強制力はあると思う。

でも、正直小学一年生にここまでがっちり宿題をやらせる必要もあるのかなあ、とも思う。

 

うちなんか双子だから、一人につき一つの携帯番号が固定されるので、宿題が一緒にできないのはちょっと面倒。一人が終わって、一度サインアウトしてそれからもう一つの携帯番号でサインインする。

学校の先生はいい生活習慣を身につけること(つまり宿題をちゃんとやること)が子供のためになると親の尻をたたくが、私は奴らをいかに遊ばせるかということに腐心している、不良親ということになるだろう。

 

(写真は去年、北京郊外にて)

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抗生物質は毒でもある(かも)

私は医者でも科学者でもない、ただの生活者である。

なので何の医学的根拠も科学的裏付けもないが、あえて経験的推測でものを語る。

 

先日、子供の手が爛れて、皮膚科に行った。

手足口病ではないかと思ったから。

足や口は異常はなかったが、指先が爛れてじくじくしていた。

一件目の病院で貰った薬が効かないので、別の児童専門病院に行った。

皮膚科の医師から伝染病科に行くようにいわれ、血液検査の結果、しょうこう熱だと宣告された。

そこで抗生物質を10日間朝昼晩と飲み続けた。

3人の子供が全員しょうこう熱に伝染した。

学校は3週間休んだ。

クラスは消毒され、子供の在籍するクラスは登校時間や休み時間をずらして他の子供と接触しないよう配慮された。

ウィルスが体内に残っていないという証明を貰い、子供たちが登校して1週間くらい経った頃、 子供たちの異変に気付いた。

 

小4の娘が、急に身体にじんましんのようなブツブツが出始めた。

病院で検査すると、海鮮アレルギーなので魚介類は食べないように、と言われた。

これまでそんなことはなかった。

しょうこう熱のせい?

 

小一の双子の息子たちにも異常が起きた。

病気療養期間中の爪の製造細胞がどうもダメージを受けたらしく、ちょうどその頃に爪細胞が生み出したであろう部位に異常が見られた。

しょうこう熱のせい?

 

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私にはどうも、しょうこう熱のウィルスを撃退するために服用した抗生物質が、体内の免疫力や爪製造細胞にダメージを与えたのではないかと思える。

私の経験や知識を統合して演繹するとそう思えるので、強くは主張しませんが。

 

日本ではアレルギーの子供が増えていますが、ひょっとして抗生物質と関係があるのではないか、と、憶測したりもする。

生活環境が奇麗になりすぎてちょっとしたばい菌にも過敏に反応するようになったんだ、と思っていたけれど、 実は薬で免疫力を攻撃してこういう事態になっているのではないか、と。

 

薬は毒でもあるとは、昔から言われていることですが、 伝染病とか仕方ないところもありますが、 普段はなるべく薬を飲まずにすむものなら軽々しく飲まない方が身体のため、と、 改めて思いました。

さて子供がアレルギーから脱出することができるのか、 このままずっとこうなのかあるいはいつか免疫が復活してお魚がおいしくいただけるようになるのか、 親としては気がかりなところ。

story2 ハーブティー

「いくぞー」

父は竜平にボールを投げた。

「あっ!」

竜平が取り損ねたボールが花壇の中に消えた。

「へたくそー!」

そういいながら父は花壇に向かい、竜平と一緒にボールを探し始めた。

「父さんがコントロール悪いからじゃない!」

 

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天気のいい日曜日、家族で郊外の公園に来て父とキャッチボールをしている。

「ハーイ、休憩。お茶の準備ができたわよー!」

簡易テーブルの上には母の手作りチーズケーキとハーブティーが置かれていた。

「えー、僕コーラ飲みたい!」

「だめよ、ウチはそういうの買わないの!」

軽く汗をかいた身体にハイビスカスの酸味が意外と心地よい。

氷砂糖のすっきりした甘みが体力の回復を加速するように感じた。

 

 

めまぐるしい都市生活の週末に竜平はそんな子供の頃のことを思い出していた。

会社勤めの彼は、営業マンとして日々顧客回り、 暑い夏も背広を着て汗をかきながら一軒また一軒とお得意様を訪問する。

昨日の訪問先でたまたまハーブティーを出され、 帰りがけに材料を調達し今朝は久しぶりに昔母の淹れてくれたブレンドを自分で再現してみた。

 

今日は天気のいい日曜日。

久しぶりに公園にでも行ってみようかな。

 

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「こんばんは」って何よ?

先日、家族を連れて大雪青少年交流の家に4泊した。

北海道の大自然を堪能させたいという気持ち、

規律正しい生活の中で自分のことは自分でやる生活習慣になじませたいという気持ち、

他の日本の子供たちと交流させたいという思いからである。

 

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朝6時半起床、歯磨き洗面部屋の掃除、終わってからグランドに集合して君が代のなか国旗掲揚、食事、そこから一日の計画が始まる。

 

宿泊しているのは大学のサークル、先生率いる小中高の生徒、福島の被災地の子供たちも夏休みの企画でいっしょだった。

日本各地から水泳部、バドミントン部、運動系文科系様々な団体がきている。

なかでも北大のマンドリン部は100人近い団体だったのには驚いた。

 

所内ではすれ違う宿泊者には必ず挨拶をする。

夕方の集会が終わってから、食事や浴場へ行く際に多くの若者とすれ違う。

 

私「こんばんは」

若者「こんにちは」

 

最初は何だ挨拶も知らないのかと可笑しかったが、 挨拶するたびにこんにちはと返ってくると、なんかこっちが変なのかと思えてくる。

 

芸能界が夜でも「おはようございます」と挨拶するように、これがこの施設のルールなのか?

それとも現代日本の流行か?

新しい若者言葉か?

私がいない間に日本語が変わってしまったのか?

看護婦さんとかスチュワーデスとかいまは使わないらしいしな、 そう思って事務所に行って聞いてみた。

 

 

「ただ単に挨拶を知らないだけなんですよ」

 

 

・・・まじ????????

 

 

・・・大学生でしょ?

 

 

夜は自宅で受験勉強してるから誰にも会わなかったってか?

こんばんは、を、知りませんか?

 

そう、具合の悪い状況も急激に心を捕まえられた状況も「ヤバい!」という言葉で表現できるように、 朝でも昼でも夜でも「こんにちは」で済んだら、楽ですよね。

 

 

楽ですかね?

 

 

そりゃ外国人の日本語学習者にとっては楽かもしれませんね。

でも国語のボキャブラリーがどんどん減ってしまうのは、 言葉による表現方法が少なくなってしまうことで、 文学も歌も日常の会話すらも味気ないものになってしまうと思う人は、 私だけじゃないと思うけど。

 

あのとき事務所に聞きにいかなかったら俺も「こんにちは」に変えてたかもしれなかった・・・

 

 

 

最後に、施設も自然環境もとても素晴らしく、充実した5日間を過ごさせていただきました。

(高校の時スキー研修で行って以来、実に35年ぶり!)

職員の皆さん、うちの子と遊んでくださったお兄さんお姉さん、ありがとうございました!

日本へのお茶の発送

ZHENCHALIN 様

はじめまして。 メールにて失礼致します。

私、日本からご連絡させていただいております〇〇と申します。

さっそくではございますが、お茶のお取り寄せをお願いしたいと 思っておるのですが、通販はしていらしゃいますでしょうか?

というのも、先日知り合いから上海のお土産でいただいたお茶が ZHENCHALIN様のもので、とても美味しかったので是非もう一度 飲みたいと思い不躾ながらお問い合わせさせていただいた次第です。

ちなみに、Special Teaの購入を希望しております。 (他も気になっているのがあるので増えるかもしれません。)

お手隙の際にでもお返事いただけると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

 

 

こういう反響はうれしいですね。

送料がかかっちゃうので一つ二つだとちょっと割に合いませんが、

見積もりとお茶の発送させていただきます。

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シェアリング時代

時代は急速にシェアリングに向かっている実感。

今回宿泊先を決めるのに利用したairbnbも、基本は自宅の空き部屋を提供して旅行先の他人の空き部屋を利用するシステム。ルームシェアの世界規模ネット版ともいえる。

uberは空いている車と時間を使って客をのせる、広い意味でのカーシェアといえる。
ただ商業色がちょっと濃い。タクシーより便利に、安く、ということで既存の業界に競合する。

ルームシェアやカーシェアは実社会でもネット社会でも確実に進んでいる。

 


今回宿泊した加賀山中温泉の旅館、規模の大きさと旧態依然としたサービス、客も従業員も平均年齢60歳を超えている現実、利用客の少なさ、まるで氷河期を迎えた巨大恐竜のように感じた。

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自然環境は素晴らしい、渓流沿いの露天温泉につかりながら蛍が見られる温泉宿。

 

ただ、いくつか気付いた点を上げると、
二人で宿泊するのに20畳ぐらいもある部屋、さらに使い道のわからない4畳半の部屋もついている。仲居さんに聞いたらこれで一番小さな部屋とのこと、豪華さの演出も私には無駄にしか思えない。
食事は夕食朝食と部屋まで運ばれる。部屋でゆっくりくつろいでとの気遣いと思うが、
料理の量が半端じゃない。
私でも食べきれないほどの量、これが高齢者にも同じものが出ているのだから、恐らく半分以上は捨てられることだろう。
高齢の仲居さんが一人で運んできていったん戻り、揚げたての天ぷらを持って再び参上する趣向。食べきれない料理を前に贅沢な時間をお客様に堪能してもらうのがホテルの使命であるようだ。

洗い物したり配膳する係の人も恐らく目がよく見えないのだろう、スプーンやお皿が汚れたままお膳が運ばれてきた。

 

値段は、温泉旅館ということで一泊一人1万円前後から、2~3万円台くらいの間。
これだけ巨大な施設にこれだけのサービスを提供するにはこのくらいの料金は必要最低限だろうと思う。
ただ客が少なすぎる。今こんな温泉宿に泊まりにくるのは定年退職で時間もお金もある団塊の世代以上の高齢者のツアーしかない。

部屋はでかいががらんとしている。
床の間にはかけっぱなしの軸はあっても一輪の花を飾る体力も気力もすでにない。
実際につぶれてもう3~4年経つという巨大ホテル『百万石』がもの言わず温泉街を見下ろしていた。

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(恐らくバブル期から毎日演奏しているであろう自動ピアノ。か弱い音色が積年の疲れを奏でているように感じた。)

 


もう巨大建築や巨大組織の時代は終わった。
これからは目の届く、身の丈に合った施設や組織の時代になる。
ホテルもマンモスではなく、氷河期に対応できる小回りのきく生き物じゃないと厳しい。
オーナーが自分の思いを具現化でき、目の届く範囲で管理ができる建物やシステムが主流になるだろう。
そこでいかに個性的な空間や気持ちのよい空間を作り、その居心地の良さをシェアという形で客と共有する。

 

ホテルだけじゃない。
カーシェアも日本では現実に自分の車を空き時間に必要な人に提供するというプラットフォームが既にある。
車をより個性的に装飾してレンタカー業界とは違うマーケットを狙えそうだ。
トヨタも日本ではカーシェアのノウハウがないと遅れをとるということで、
某パーキング会社と提携して電気自動車のお気軽乗り捨てレンタカーを始めるとのこと。

例えば映画館や野球場などもある会社に登録して空き時間をいろいろなイベントに使ってもらえるよう手配する、そんな新しい空間シェアの会社もできたようだ。
レンタルといえば貸衣装は昔からあるが、最近は仮想恋人のレンタルまである。
時間いくらで性のサービス以外は恋人と同じような時間を提供してくれる時代。

 

今後あらゆる分野でシェア化が進んでいく。
その時代の変化をしっかり見極めながら進路を決めないと時代に取り残されてしまう。

挨拶って?

挨拶。 
自分ができているとは言わないが、 
挨拶のできない人を見ると残念に思う。 

先日、年に2〜3回ご注文をいただく日本の会社からの注文でお茶を準備しているとき、 
ちょうど新茶が出始めた頃だったので荷物の隙間に手紙を添えておすそ分けさせていただいた。 
「今年の新茶が出ました。中国の春の香りを社長様や皆様とお楽しみください。」 

その後、荷物は届いたという連絡はいただいたが、 
それ以外のことは一切書いていなかった。 

こういうのは、損だと思う。 

お金をいただいて商品を発送するのは機械でもできる時代。 

あえて気持ちを添えたつもりが、 
無視されたことで逆にマイナスイメージに変わる。 

以後絶対サービスしたり気にかけたりするもんか! 
お金をいただき、商品を送るだけ。 

もしそこに一言でもお礼があれば、 
「ああ皆さんで飲んでくださったんだな」と思い、 
プレゼントしてよかったな、 
今度また機会があれば何かしてさしあげたいな、 
思いに応えることが新たな思いを生む。 

思いをかけ、かけられる、そういう人が増えれば、 
人生もっと豊かになる気がします。

鼻みず考

ヘーックショイ!

花粉症の(症状の)季節が来た。

私が上海に来た当初はくしゃみ鼻水が発症せず、中国に花粉症はない!と豪語していたものですが、

ここ数年は春になるとまた出るようになった。

私が北海道にいる頃にはなかったこの症状、

東京に出て数年後、車を運転していていきなりくしゃみ鼻水が始まった。

個人的体験から考えても、

排気ガスと花粉が混じり合ったものが身体に蓄積して発症するという説がしっくり来る気がする。

 

今は花粉症の症状を止める薬や治療法がいろいろとあるのでしょうが、

私は積極的に治療しようとは思いません。

人間の身体は身体に害をなすものを排出しようとする。

嘔吐や下痢もその反応の現れだと思うので、

よっぽど何日もひどく続かない限り下痢止めは飲まない。

鼻水だって、

鼻の中に付着したおそらく花粉と排気ガスの混ざったものを一生懸命洗い流そうとして発生するのだろうし、

くしゃみも気管に付着したなにかを体外に出すための反応だと思うから。

それらを薬で止めるのはそういう身体の反応を止めることになるので、

実は身体に良くないんじゃないかと思って。

 

もっとも、

仕事に差し支えが出たりここは一発決めねばならんというときには薬の力もお借りしますが。

ふだんは、マスクで一次防御する程度で後は自然に任せています。

 

くしゃみ鼻水を楽しみながら春を感じています。

 

 

 

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写真は西湖湖畔のユースホステル。素敵なところです。

本物と偽物

日本では考えられないが中国では常に気になる。

目の前に売られているものが本物か、偽物か。

偽物は買いたくない。本物を買うためにはどうしたらいいか。

 

信頼できる人に紹介してもらうくらいがせいぜいできることですが、

それも一過性のものに過ぎず、

つまるところは自分の眼力を高めるしかありません。

 

食べ物でも賞味期限が切れたら捨てるのは馬鹿でもできます。

まず開けてみて、臭いを嗅いだり、色を見たり、触ってみたり、五官を使って確かめる。

そうすることが地球の限られた資源を大切にすることでもあり、いたんだものを食べないということが本来の自己を守る力でもある。

判断力というのは本を読んで身に付くものではありません。

自分で体験して、その体験を重ねることではじめて自分なりの判断基準ができる。

現代社会はその判断基準を身につけることをさせないように、製造者や販売者に責任を負わせることで一見消費者を守っているように見えますが、

実はそうして消費者に判断させないことによって企業や工場の利益を守っている、ともいえます。

 

おや、ちょっと脱線してしまいました。

つまり、本物を買う、いいものを買うためには人に頼らず自分の眼力を高めるしかない、ということ。

そのためには、偽物をつかまされるのも言い方は悪いですが「勉強」だといえます。

勉強するためには授業料が必要です。

いわば買った後でその価値がないとわかったとしたら、買い物失敗ではなくそれは授業料を払ったという訳です。

だって、それを買わなかったらそれが偽物だってわからないわけですから。

 

そう考えると腹立たないでしょ?

 

失敗を恐れず、いいと思ったものは買ってみる。

使い込んでいるうちにおのずとわかる。

それから次のステップに踏み出せる。

そうして最後までたどり着く人が、本物を手にする価値のある人だともいえます。

 

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