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中国茶的日々

2005年に上海田子坊で中国茶の店『臻茶林』を始める。北京南鑼鼓巷、浙江省烏鎮、江蘇省天目湖に支店。

日本は茶道、中国は茶芸

中国に茶道はない。

最近中国茶道という使い方をする人もいるが、それは日本に茶道があるから中国にもあるだろうと思う人、あるいは日本にあるんだから中国にもなければならないと思う人、かな。

道と芸、どう違うのか。

日本には柔道剣道華道茶道、道だらけ。

でも中国にはそういう道(タオ)なんてない。タオと言えばあるいはその辺の道路か、あるいは宇宙や自然を支配する法則か、いずれにしろ人間の行為にタオという文字はそぐわない。

 

私が考察するに、道と芸を並べた場合、芸というのは人に見せる技術であり、道というのは自己の内面を研鑽することであると思う。

武道はいかに敵に勝つかという武術の時代を経て、自分に勝つ(自己を律する)という内面に向かってできたものゆえ、武道なのだと思う。

華道もいかにきれいに見せるかを競ううちは華芸であり華術であり、それが花という対象を通して自分の内面と対話しながら自己を高めるようになるのが華道なのだろう。

自己の核心が宇宙の法則と合致すると感じられたとき、タオと呼ぶに値すべきものとなる、だから道なのだろう。

 

日本は趣味にしろ仕事にしろギリギリまで極めようと努力する文化があるのが素晴らしいと思う。

豊かだからかな。

明日の食い物どうしようという状況じゃなかなかそういう文化育たないような気がする。

おそらく中国はごく一部の層を除いて生きて行くのに精一杯でそういう道を極める方向に向かわなかったんだろう。

それより芸なり術なりを磨くことで飯の種にもなろうというもの、

金は盗まれるが芸や術は盗まれにくい財産ともいえる。

 

いま中国の茶人たちも日本風を取り入れている。

素朴風とでもいおうか、茶器や茶席から飾り気をどんどん省いて純粋にお茶を楽しもうという方向性。

色を完全に取り除いた景色に一輪の花を置く。

こういう状況を目の当たりにして、シンプルな美しさに対する感性に国境はないんだなと思いながら、日本が一歩先を歩んできたことが誇らしく思えたりもする。

  

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