六、四国遍路の旅(2)小田原
小田原の海は大しけである。
怖くないのか、子供たちは大波と戯れている。
いい天気だ。
右には伊豆半島、左には湘南海岸が見える。
前は水平線、その向こうも水平線。
ずーっと向こうにはアメリカがあるか。
海は昨日までの雨のせいか濁っている。
ここはいい天気だが、東京方面に低い雲が足早に流れている。
向こうはどうだろうか。
終点の小田原に着いたとき、電車の中で眠っていた。
ある紳士が起こしてくださった。
僕だったらわざわざ電車の中まで他人を起こしに行くだろうか。
お礼を言って、話し始めた。
その方は毎朝お経を唱え、週に一度は二万百字もある観音経をあげる。
二度の戦争に行かれた時、お母様にいただいたお守りを持って行き、無事帰られた。
戦後数十年経って、初めてその中身が米粒ほどの大きさの文字でぎっしりと書かれた観音経であることがわかったそうだ。
亡くなられたお母様の「他人には優しくしなさい」という言葉が、今も頭の中から離れないとおっしゃった。
海の監視員の真っ黒い顔の男性に話しかける。
昨日までは3つ低気圧が並んでいて、今日は一つは北海道へ、一つは大阪の方へ行ったので、ちょうど真ん中のここだけ良い天気なのだそうだ。
なんという幸運。
それに、昨日中止になった大松明が今晩7時からある。
海の霊を鎮めるお祭りだそうだ。
どうせ急ぐ旅じゃなし、一日くらいいても良いだろう。
それにしても、監視員は黒人みたいだ。
かなり大きな松明だった。
10メートルくらいあろうか。
最初上の方に火をつける。
あとで下から点火して、全体が火に包まれて行った。
正面の空は星が輝き、東京の上空では雷雲が稲光りしている。
波は高く、海岸で白く砕けて2メートルくらいも躍り上がる。
左右には沿岸の街の灯りが点滅している。
火柱の両脇には古くなった卒塔婆が燃やされ、海に流された灯籠が波間に見え隠れしながら少しづつ沖へ向かう。
火をつけた線香は砂浜に絵や字を書くようにたてて遊ぶ。
それが供養なのです、と説明された。
数年前に海で遭難した友人の父に手向けよう。
線香で彼の名前を書いた。
夜は閉店後の海の家の縁台で波の音を聞きながら寝た。
夜中に若い男に起こされた。
誰だ?どっからきた?
ねじり鉢巻の男はいろいろ聞いてきた。
ほう、そうか、気に入った!実はおれも家がボロいから小さいときから暑いときは浜で寝るんだ。朝方は寒くなるから、ほら、毛布持ってきてやったけど、寝袋あんならいいな。じゃ、おやすみ。
あるだけのお金で切符を買った。
名古屋までだった。