六、四国遍路の旅(10)柳水庵
こんな山奥、てっきり無住の庵と思い込んでいただけに本当にびっくりした。
庵の濡れ縁にお邪魔してお茶をいただく。
熱いお茶、凍てつくほど冷たい和菓子、なんと心憎いもてなしであろうか。
千利休の伝えた侘び寂びをこの山中で体験しようとは・・・
本当に心のこもったお接待、人をもてなす心を教わった。
この旅の目的は南だろうか。
遊ぶためじゃないし、襖を張ることでもない。
学びにきたのか?何を?
方言や地域性を調べにきたわけじゃない。
人の情けか。
わざわざ旅に出なくとも学ぶことはできるじゃないか。
あの山中の柳水庵で受けたお接待は心の底から嬉しかった。
あの感動は何物にも代えられない。
これほど人に衝撃を与えるのはなぜ?
本来あそこでお茶を出す必要なんてない。
必要にかられて行動するだけでは駄目ということか。
真実とは、あの気遣いのことだ。
他人を自分と思って、自分だったら嬉しいと思うことをしてあげる。
それは取りもなおさず、自分の存在価値ではないか。
最後の十キロは川沿いに下る道だった。
いろいろ考えながら時々見る川は、見るたびに大きくなっている。
自分も今はあるのかないのかわからないような小さな流れだが、
やがてはこの川のようにどこまでも透明な、力強い、人々になくてはならないそんな川になる。
そしてゆくゆくは大海に注ぎ込み、海と一体になってより多くの人々の役に立つ人間になりたいものだ。
山路を同行した先の遍路僧二人とともに、旅館に着いたのは5時半。
夜はまた話しに花が咲いた。