中国茶的日々

2005年に上海田子坊で中国茶の店『臻茶林』を始める。北京南鑼鼓巷、浙江省烏鎮、江蘇省天目湖に支店。

今いいなと思ったけど、それなんだっけ?

明るい雰囲気で令和が開けました。

これまでは御崩御に伴う元号刷新だったのでなんかしめやかに改元されてましたが、

退位も即位もご健康のうちに行われた方が気持ちよく新元号を迎えられます。

 

上海の地下鉄に乗ると、みんな俯いている。

中には目に涙を溜めていたり、ニヤニヤしてたり、指を頻りに動かしたり、虚空を見ながら話してたり。

 
空き時間を利用してスマホで好きなドラマを見たりゲームをしたり、
上手く時間を使っているようなつもりでいますが、
あの瞬間ってそこにいながらそこに居ない。

 

体だけ地下鉄の中にあるけど、魂はそこにないんですよね。
そうう人に囲まれると空恐ろしくなります。
何らかの身の危険が迫っても気づかない。
自分が降りる駅に着いたことすら気づかない、
足元に置いた買い物袋のことも忘れて慌てて飛び出していく。
 
例えば昔は電車で新聞や漫画を読んだり音楽をイヤホンで聴いたりしている人も少なくなかったですが、
今ほどの比率ではなかったような気がしますね。
あるいは寝たり寝たふりしたりしている人もいましたが、
車両内の全員が目をつぶっていることもありませんでした。
そういう人がいてもいいけど、
今の上海では90%以上の人がみんなスマホ眺めているというのが気持ち悪いです。
 
それに当時漫画を電車で読んでいる人も、
仕事中の空き時間にふと漫画を取り出して読む人はいませんでしたが、
今はありとあらゆる空き時間がスマホに吸い取られる。
もっともスマホを通して調べごとをするのか、連絡をするのか、ゲームをするのか、
目的は違ってもデバイスは全て一つのスマホで行われる。
中国では買い物もレストランも全てスマホで支払う。
 
いわばスマホはその人の分身とも言えます。
その分身がネットで世界につながっていて、
プロがその気になればあらゆる情報がハッキングされて公開や悪用されるリスク、
銀行の口座もスマホで管理、
顔認証で誰がいつどこにいるかもすぐに把握される、
もっとも携帯の電波と内臓のGPSで現段階でも目をつけられたらバレバレですが、
心も体も財産も常にネットで繋げられているというのが今の時代では無いでしょうか。
 
いやですねえ、
私のようなアナログの旧タイプの人間にとっては。
私もこちらにいる以上はスマホなしでは行動がかなり制限されるので使ってはいますが、
本音は昔式でいい、昔の方がいい。
日本の現金主義を遅れていると思っている人がほとんどだけど、
私は実はそう思っていない。
できるものならそうしたい。
お給料を口座に振り込むより現金で手渡しの方がリアリティーがあっていいと思います。
じゃないとなんか誰がくれるのか忘れてしまいそう。
 
便利になる、
それはイコール人間が原初に持ち合わせたあらゆる能力が退化していくということだと思います。
危険察知能力、緊急時の対応能力、体力、記憶力、思考力、洞察力、視力、
 
リテラシーという言葉が一時はやりましたが、
今まさに、自分を見失わないためにはスマホリテラシーが必要です。
スマホに振り回される人間は言われたことを上手くこなせばいいという消極的な被雇用者になり、
スマホをコントロールできる人間は仕事を楽しみ創意工夫をして独立した人になっていくのではないかと思います。
休み時間、空白の時間というのは実はとても大事です。
その間に脳内ではいろんな情報が整理判断されて、新しいアイデアや応用が生まれます。
スマホはある意味その時間をなくし、常にインプットし続けて整理する暇もなく新たな情報が入ってくるのでそのまま忘却という形で前の情報は廃棄される。
あれ、今見ていいなと思ったけど、それなんだったっけ?ということになってしまいます。
 
誤解の無いように一言付け加えますが私は被雇用者を見下しているわけではありません。
被雇用者も社会には必要だし、そもそも性格的に被雇用者に向いている人もいます。
みんな懸命に生きてる。
その意味では平等だと思います。
 
寺山修司のようにそのうち「スマホを捨てよ、街に出よう」という風潮が遠からずくるでしょう。
実際スマホを持って旅行に行っても、
写真は撮れてアップできるのはいいですがそれ以外は日常と同じようにスマホで友人の日常をのぞいたり会話したり、
さらにゲームや連ドラなんかを開くに至ってはもう日常と変わらない。
旅の醍醐味を味わうことなくポイントビューで写真撮るための移動でしかない。
わたし的には非常に残念です。
 
アップルが脚光を浴びてから、今やこの流れは世界の潮流なのでしょうか。
確実に言えるのは世界中に頚椎病の患者が増えること。
しかしあるいはもう携帯を見下ろさなくても3Dで目の前の空間に情報が投影されるような時代が来るでしょう、これも遠からず。
そしてあるいは世界中の政治家たちにとってはそうやって国民の思考能力が奪われることが実は彼らにとっては都合が良いのかもしれない。
そんな中でスマホの害悪を唱える者は上からも周りからも異端者として歓迎されないかもしれない。
 
月並みな結論ですが、
最善策はスマホを使わない。そうすれば頚椎病のリスクはかなり減り、少しだけでも携帯の発する電磁波を軽減できる。
わたしはこの電磁波も人によってはかなり心身に影響を与えていると思っています。
エビデンスはありませんが、インフルエンザのタミフル服用で子供が自殺するリスクが高まると一時報道されていましたが、
現代人は過去に存在しなかった様々な環境に晒されていますし、それがどう心や体に影響しているかなんて誰も証明できないでしょう。
遺伝子組み換え作物や、化学合成添加剤、電気製品の発する電磁波など、
単独では無害であるとされていてもそれが複合するとどういう反応を起こすかわからない。
たとえ人が安全だと言っても自分が危ないと思うものには近づかない。
(原発神話とか残留農薬だとか合成保存料とか「安全」はいっぱいあります。)
危険察知能力の基本です。
 
次善の策はなるべく使わない。
仕事や学習あるいは日常生活で使わなければならない現代ですからスマホを持たないというのはかなり難しい。
そこに娯楽や暇つぶしでのスマホ利用が入るともう収拾がつかない。
そこがスマホリテラシーでどこまで自分をコントロールできるかが鍵だと思います。
 
それができなければスマホの奴隷となりなんでもいうことを聞くしかない。
スマホが提供してくれる終わりない娯楽に身を投じ、
そうすることで現実の嫌なことや面倒なことが全て忘れられる悦楽の世界に甘んじてこもるしかない。
アヘンか?
人の言いなりって、楽ですよね。
なんでも言われたことさえしてればいいんですから。
口先でめんどくせえなあとかブーブー文句言いながら。
政治家の求める真の国民の姿は、これだ!
なんちゃって。
 
それでは今日はこの辺で。