中国茶的日々

2005年に上海田子坊で中国茶の店『臻茶林』を始める。北京南鑼鼓巷、浙江省烏鎮、江蘇省天目湖に支店。

ポスト資本主義

自由は自らに由ること、独立した人間のあるべき姿。
しかし、全ての人が自由を欲しているわけではないと言う事実もあります。
 
オウム真理教の幹部は高学歴者が多かった。
あんなに頭がいい人たちがなぜあんなカルト宗教を信じたのか。
それは彼らが自由の重さに耐えかねて、グルを頼る道を選んだからだと思います。
命令されたことをやる方が楽です。
自分に責任ないから。
信じている人や組織、あるいは信じていると自分に思い込ませているものに従うことによって、
自由の自己責任から逃れられる、
そしてそこには苦楽を共にする同士がいる、
自由に押しつぶされそうになった自分の居場所がそこにはある。
 
人殺しは精神の壊れている人じゃない限り難しいことだと思います。
しかし自分や家族を守るため、故郷を守るため、愛する何かを守るためと信じるならばそれは可能となります。
香港の警察は、中国政府に人質を取られているんじゃないかと思うほど市民を攻めますね。
あるいはそういう脅迫を言外に受けている、暗示を掛けられているのかもしれない。
 
そういう人たちは、自由とはいえない。
本人たちは自分の意思でやっていると思い込んでいるかもしれませんが。
日本の多くのサラリーマンも、
自由だと本人は思っているかもしれませんが、
実は真の自由に目を背けているか、あるいは気づいていてもそれを欲しないか。
しかしながらそういう人たちが一定量いることによって人間社会は構成されているのだと思います。
 
自由を学び体得するのが学問のはずなのに、
今やお金を稼ぐためのツールに成り下がっているのは誠に残念なことであります。
 
脅威は中国ではなく欧米の資本主義を盲信することこそが今日の地球の脅威だと私は思っています。
永遠にコストを抑え続けることによってのみ成り立つ資本主義。
そして今人類はマネーに屈服し、マネーにこき使われている。
 
ずっと安い給料で働かされ続けるシステム。
(最低賃金を上げ続けるのは欧米型資本主義と矛盾しており、破綻するのは当然)
常に利益を増進させ続けなければならない社長。
(株主のため会社のために利益を出したい。それには人的コスト(社員の給料)をなるべく抑えたい)
株価の上下に一喜一憂する株主。
(株主の手の届かないところで価値は上下する。報われるように努力のしようがない)
 
そんな行き詰まった世界を打開できるものが和の精神だと思います。
期せずしてグローバル経済は破綻、世界中が自国ファーストに走り始めます。
世界的なサプライチェーンも今はだいぶほころびが出始めました。
世界中がますますバラバラに、自国最優先で物事を組み立て直し始める。
平和ボケの日本もただ指をくわえてこれまで通り世界に対するのでは急激な国際パラダイムの再構築に取り残されるだけです。
 
人本主義という言葉がありますが、
ポスト資本主義はまさにそんな社会、三方良しで皆で笑いあえる社会、
地域で協力しあって助け合いながら苦難を乗り越える社会、
そうしなければ人類は滅びるだろうとさえ思っています。
欧米型の資本主義に淘汰された世界中の文化が復権し、お互いの文化を尊重しながら自分たちの生活を守れる社会が来て欲しいと思います。