中国茶的日々

2005年に上海田子坊で中国茶の店『臻茶林』を始める。北京南鑼鼓巷、浙江省烏鎮、江蘇省天目湖に支店。

新型コロナウィルス考

今日の札幌はずっと雪が降り続いてる。

 

人間なんて所詮細菌の塊だろう。

ウィルスが一つ飛び込んできたからといってすぐに感染するわけでもあるまい。

体には異物を排除しようとする免疫機能がある。

その機能を上回る数が入ったときに、発症するのだと思う。

 

それこそ人によって、免疫力には差があるからウィルス何個以上でアウトとか言えるはずもない。

これまで社会は抗菌除菌で身の回りのバイ菌を減らすことに腐心してきた。

そうすることによって体はバイ菌の少ない世界に慣れ、さらには自分自身まで殺菌してバイキンを攻撃する味方の細菌まで減らしてきた。

日本人が東南アジアでお腹を壊す人が多いのもつまりそういうこと。

お腹も、人間のフィジカルもメンタルも何もかも、刺激がないと退化する。弱くなる。

 

社会もそう言える。

公平な世の中になれば人の活力はなくなる。

水は高いところにあるからエネルギーがあり、電圧があるから電流は流れる。

社会は不公平だからモチベーションも生まれる。

目標を設定するのは、時間軸上で自分に差をつけるため。

だから、頑張ることができる。

 

歳をとるということは、自分の経験を蓄積することで自分なりの判断基準を作っていくということなのだろう。

メディアの情報もそのまま信じるのではなく、まず自分の頭で考えて真実を推察するようになる。

 

コロナは、突然襲ってきた悪魔じゃない。

おそらくそれは生命が地上に生まれた時から存在し、生命世界にたびたび干渉しDNAになんらかの変化をもたらすことで、その種は新たな環境に適応してこられたんじゃないかな。

なんらかの大きな意思を信じる人には、あるいは神による命の淘汰と捉えるかもしれない。

弱きもの、必要なきものをふるい落とす網なのかも知れない。

 

変化は怖い。

コロナを受け入れて自分の命が淘汰されるかも知れない。

でも自分が変化しないと環境の変化についていけずに苦しむかも知れない。

ワクチンも怖い。

打たないとコロナにかかるかも知れない。

でもワクチンが効くかどうかも分からない、あるいはワクチンが自分の体にどういう影響や変化をもたらすのか分からない。

 

全てすぐには答えの出ない問題であり、

現段階では正解がない。

誰々がこう言ってるから、と他人に判断を委ねて失敗した時にその人を恨んでも全く意味がない。

自分で考え、自分で答えを見つけるしかない。