中国茶的日々

2005年に上海田子坊で中国茶の店『臻茶林』を始める。北京南鑼鼓巷、浙江省烏鎮、江蘇省天目湖に支店。

労働は押し付けられた義務だ

 価値観の多様性に厳しい日本社会において、 ある日ふと疑問が湧いて授業をサボる、というのは私も経験したことがあります。 引きこもってしまうのは相当ダメージが大きかったということでしょうか。

 自分は世の中の一員である。 この世界がなければ自分は無かったし、自分が消滅するときは自分の見ているこの世界も同時に消滅してしまいます。

 

実際には自分が居なくなっても世界は残っているのですが、 そんな残っている世界なんて消えゆく自分にとっては何の意味も持たなくなる、 自分にとっては消滅するのと同じです。

 たまたまこの世に生まれてきてしまった。 なぜ生まれたかなんてわからない、 でも生まれて自分がここに存在する以上は自分というものがあり、世界があり、 ならば毎日楽しく有意義に「与えられた時間」をつかいたい。

 自分の道程を想起してみました。 自分は束縛されることなく自由に生きてこられたので引きこもりにもならなかった。 でも親や社会に道を決められ押し付けの価値観に逆らえずに生きていてあるとき緊張の糸がプツンと切れてしまった、 それでも押し付けられた価値観にさいなまされ自分の存在意義が見えなくなってしまった人たちにしてみれば、 引きこもりとか自死とかそういう形になって現れるのでしょうか。

 「労働は義務」というのは与えられた価値観としてそっぽをむく時期もあるかもしれない。 でも、この世の中の一員である限り、この世の中があって初めて自分が存在しているのであり、 この世の中に恩返しをしたいというのは自然な気持ちなのではないかと思います。 だから労働は義務ではなく、世の中に貢献する手段だと思います。

 ただ、いまの社会は資本主義という価値観にほとんどの日本人が洗脳されてしまっています。 多様な価値を認めたがらない。 認めると資本主義が成り立たないから。 そして洗脳を拒んできた人たちは変人か精神病扱いされるので、引きこもるという形で社会から隠れるしかなかったのではないでしょうか。

 そもそも資本主義は永遠にコストを安くし続けなければ価格競争に勝てない社会なのです。 ちょっと前まで中国は世界の工場といい世界中の企業が安い労働力を求めて殺到しました。 今は中国は巨大な消費市場になってしまいコストが高くなったので、企業は新たなコストダウンのために東南アジアやインドを目指している。 永遠に貧困地域を食い物にするシステムだと私は思います。 というか、もともと自分たちが貧しくて不幸だと思っていない人たちに、それこそ価値観を押し付けてその地域を労働力として育て取り込んでいく。

 そういう資本主義も行き詰まりを感じ始めているころ、マネーに特化した新たな経済システムがそれを引き継ぐ。 資本主義はまだものを生産するが、株やファンドなどのマネー経済はお金が右から左に動くだけで利益が出る。 カネを持っている人とそれを動かす人が儲かる。 何も生産しない。

 もういい加減にしてくれよ!と思う。

 人間って、何のために生きているんだ? 他人に使われ、他人を儲けさせるため?