中国茶的日々

2005年に上海田子坊で中国茶の店『臻茶林』を始める。北京南鑼鼓巷、浙江省烏鎮、江蘇省天目湖に支店。

六、四国遍路の旅(12)パンツ事件

お題「今日の出来事」

中田という駅で寝た時のことだった。

 

待合室に荷物を置き、銭湯に行った。

 

小さな風呂で、僕と地元のおじさんと二人しかいなかった。

 

身体を流していると、高校生が7〜8人どやどやとパンツをはいたまま入って来た。

この風呂は二階の卓球場のシャワー室も兼ねているのだろうか。

それにしても・・・

 

彼らはいい湯加減なのにアツいアツいと水を入れ、終いには水の掛け合いを始めた。

いくらなんでもたまらず、「いい加減にしなさい、人の迷惑も考えろ!」と言うと黙った。

すると隣りのおじさんが「いいんだよ若いんだから何しても・・・ただ風呂にパンツをはいたまま入るのはいかん・・・」

ぼそぼそと言い続けているが高校生は知らぬ振りで遊んでいる。

やはりここは日本の公衆浴場に違いないのだ。

煮え切らぬおじさんに腹が立って来て僕は立ち上がり、桶に水を汲んで「ぬげ!パンツを脱げ!お前らそれでも日本人か!見られたからって減るもんじゃなし,お前らそんな仲なのか!早く脱げ!その場で脱げ!!!」

久々に怒鳴りつけた。

そのうち一人が「お、俺の見たらみんなショック受けるかと思ってよ、よし、脱ぐぞ!脱ぐぞ!」と言ってもぞもぞやり出した。

他の連中も脱衣場に行ったりその場で脱いだり、のそのそと動き出した。

全く、非常識な奴らだ!

日本はどうなるのだ!

でも彼らの明るさはこちらの心も和ませてくれる。

叱った後もすがすがしい気持ちだった。

六、四国遍路の旅(11)別れ

朝6時半起床。

むこうずねが張って痛い。

 

7時出発。

おヒゲさん、僕、メガネさんの順で歩く。

 

20キロの行程、途中一度だけしか休まなかった。

 

道中おばあちゃんから「ウチのそばやったらスイカでも切るんやけど」と言われる。

そのお気持ちいただきます。

 

心のお接待。

 

道で会う中高生は皆元気に挨拶してくれる。

こちらも負けずに返事をする。

 

道のわきで一服している工事の方に挨拶する。

その方が飛んで来てジュース代と言ってお接待くださる。

 

まだ開店前の茶屋で休んでいると、中から店の方が出てこられ冷えた梨をお接待してくださった。

その心地よいこと。

 

いよいよ十三番大日寺に着いた。

四時間で20キロ歩いた。

ここから3人バラバラになる。

僕は荷物で遅くなるし、お二人にはそれぞれの都合がある。

 

名残は尽きないが、いずれどこかでまた会わんその日まで。

お元気で。

素晴らしい時をありがとう。

 

各自思い思いに出発した。

 

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六、四国遍路の旅(10)柳水庵

こんな山奥、てっきり無住の庵と思い込んでいただけに本当にびっくりした。

 

庵の濡れ縁にお邪魔してお茶をいただく。

熱いお茶、凍てつくほど冷たい和菓子、なんと心憎いもてなしであろうか。

千利休の伝えた侘び寂びをこの山中で体験しようとは・・・

 

本当に心のこもったお接待、人をもてなす心を教わった。

 

この旅の目的は南だろうか。

遊ぶためじゃないし、襖を張ることでもない。

学びにきたのか?何を?

方言や地域性を調べにきたわけじゃない。

人の情けか。

わざわざ旅に出なくとも学ぶことはできるじゃないか。

 

あの山中の柳水庵で受けたお接待は心の底から嬉しかった。

あの感動は何物にも代えられない。

これほど人に衝撃を与えるのはなぜ?

本来あそこでお茶を出す必要なんてない。

必要にかられて行動するだけでは駄目ということか。

真実とは、あの気遣いのことだ。

他人を自分と思って、自分だったら嬉しいと思うことをしてあげる。

それは取りもなおさず、自分の存在価値ではないか。

 

最後の十キロは川沿いに下る道だった。

いろいろ考えながら時々見る川は、見るたびに大きくなっている。

自分も今はあるのかないのかわからないような小さな流れだが、

やがてはこの川のようにどこまでも透明な、力強い、人々になくてはならないそんな川になる。

そしてゆくゆくは大海に注ぎ込み、海と一体になってより多くの人々の役に立つ人間になりたいものだ。

 

山路を同行した先の遍路僧二人とともに、旅館に着いたのは5時半。

夜はまた話しに花が咲いた。

 

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六、四国遍路の旅(9)苦しいときは声を出す

この旅でいつもハッとすることがある。

それは出会った方々の人に対する心遣いが隅々まで行き届いていることだ。

「お接待」

耳慣れない言葉ではあったが、この言葉の意味を行く先々で思い知らされた。

この日偶然おヒゲさんとメガネさんと一緒に宿し、翌日3人で16キロの山道を歩くことになった。

すごい山道である胸突き八丁ばかり。

 

話しは変わりこの7月、グループで合宿をした。

班長の僕は一日中号令がけだ。

「気をつけ!」

「休め!」

「グズグズするな!」

「走れ!」

本当につらいときは大声を出しなさい。

疲れたら返事を大声でしなさい。

いつも先生に言われていてもわかったようなわからないような・・・

 

でもこの山道を越えるにはどうしよう。

思い切って声を出してみよう。

「もうすぐです!」

「元気出してください!」

「滑ります!」

でるでる、声とともに元気が。

お坊さんより僕の方が元気だった。

 

托鉢の精神を養うために出たこの旅で、今までいろいろと教わったそのお返しをお坊さん二人にできた気がする。

「グループの名誉にかけて受けた恩は必ず倍にしてお返ししなさい。」

先生のお言葉が頭をよぎる。

倍にはなっていないが・・・元気を出していただいて山道を登った。

 

この山中に柳水庵という寺?小屋?があった。

水は昔弘法大師が杖をたてて出したというだけあっておいしい。

頭からかぶって靴も脱いで足にも水を含ませベンチで休む。

 

「暑いですねえ、どうぞこちらへ」

 

びっくりした。

 

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(写真はイメージ。柳水庵ではありません)

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幼稚園の始業の鐘が鳴ってしばらくして、拓也は意気揚々と教室に戻ってきた。 

「拓也君、何してたの?」 

拓也は得意になって先生を遊具保管場所へ案内した。 



休み時間、仲間と積み木遊びをしていた拓也は始業準備の鐘を合図にみんなで片付け始めた。
子供の頭ほどある大きな積み木を、壁沿いに積み上げて片付け終了。 
教室に戻ろうとしたとき、ふと『この積み方じゃ地震が来たときに倒れて危ないな』と思いたち、一人残って積み上げた積み木を床いっぱいに並べ直した。 
これで積み木が崩れて誰かが怪我をすることもない。 

「拓也君、どうしてこんなことしたの?」 

足の踏み場もないほどに床いっぱいに広げられた積み木を見て、先生は拓也を責め始めた。 
先生の反応は拓也にとって予想外だった。 
みんなの安全のために授業時間が始まっても残って積み木を床に並べたのに、 
どうして先生はこんな怖い顔で怒るんだろう? 

釈明が喉で嗚咽にかわり、 
止まらない悔し涙が拓也の袖をびしょびしょにした。

 

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六、四国遍路の旅(8)お坊さんと

翌日、午後三時くらいには後片付けも終わった。

おばちゃんたちとも今日が最後である。

昼休みにはやっと気が抜けたのか、おばちゃんたちのカラオケ大会が始まった。

お鉢が廻ってきては大変と、そそくさと退散した。

 

夜は、僕の他に若いお坊さんが二人泊まった。

一人は曹洞宗、一人は真言宗だ。

寺の息子さんも交えて、四人で話しをした。

座禅を組んでて何を悟りましたか?とのっけから鋭い質問。

平和とか難民救済とか、夜遅くまで話していた。

 

朝、安楽寺出発。

お世話になった方にお礼を言って廻る。

皆さんが「もっと居なさい」と言ってくださった。

 

いざいかん!

でも、あれはどうしよう・・・

 

奥様がいらっしゃって、これをもっていきなさいとお金を包んでくださった。

ふすまの仕事もせずに三日も泊めていただいて、悪いような気がした。

 

「いいからもってき!」

 

一瞬にして巨万の富豪になった気がした。

 

次のお寺までは安楽寺の方が車で送ってくださった。

今日はいい天気だ。

昨夜一緒にお話しした若い二人のお坊さんは歩いて出発した。

八番の法輪寺でお参りをして、あのお二人もこちらで一休みされるだろうと思い、お寺の方にお願いした。

 

「一人はヒゲ、一人はメガネの若い二人のお坊さんが来たらこれでお茶でもお出し願えませんか。」

 

「いらんいらんおかねはいらん!」

 

お接待を拒まれ、そのまま僕は次のお寺に向かった。

途中小さなお地蔵様のほこらがあったので、先ほどお渡しできなかった千円を賽銭箱に入れた。

 

道に迷いながら、休みながらも九番の切幡寺についた。

ついてからもすごい階段がある。

依然として軽くならぬ荷を背負いながら、登りきった。

 

なるほど高いだけに景色はいい。

お参りとお納経をすませると、メガネのお坊さんが登ってきた。

 

「先ほどはお接待いただきましてありがとうございました」

 

前のお寺でぶどうとジュースを僕からだといって出していただいたそうだ。

 

僕のお金を受け取らずに心を受け取ってくださった。

 

メガネのお坊さんがお参りしている間、僕は頭から水をかぶりながらそう思った。

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六、四国遍路の旅(7)四国

一番霊山寺。

お遍路さんは白い上下を来て杖と傘を持つ。

僕は買えないのでTシャツに大きなリュック。

何しろ人が多いので、すぐに出る。

 

三番の金泉寺でお参りしていると、一人の遍路の女性が近づいてきて、「お接待です。お昼にうどんでも食べてください。」と千円くださった。

びっくりして納経所へ行き住職さんにお話ししたら、そういうときは仏様におさめるお札をお渡しするのだそうだ。

お接待の意味を考えながら、しばらく庭の草取りをお手伝いさせていただいた。

 

四番五番と廻っているうちに雨が降ってきた。

雨宿りに駆け込んだのが、消防署の軒下だった。

バスで行った方がよさそうなのでしばらく待っていると、所の方が珈琲とお菓子を差し入れてくださった。

 

六番安楽寺で宿を借りる事にした。

大きな宿坊のあるお寺だ。

一昨日から風呂にも入らず固い床で寝ていたので、ここの大きな浴槽に浸かるとたちまち良い気分になった。

風呂で泳ぎながら都の西北など歌っていると、ご飯ですと呼ばれた。

 

翌朝、荷物をまとめて出発すべく玄関まで運んだ。

一泊三千八百円である。

全財産を調べてみると、三千七百七十円しかない。

南無三!

こういうときこそ笑顔を忘れてはいけない。

向こうから奥様がいらっしゃる。

 

「出発するんですか?実はうち明日お祭りがあるので、お手伝いしてもらうと助かるんやけど。」

 

やった!

一も二もなく承知して、また荷物を奥に運び込んだ。

 

安楽寺ではあらゆる仕事をした。

陽気な食事係のおばちゃんたちと準備や後片付け、庭で竹をとったり草をむしったり。

当日は何百人も泊まりにきて、目の回る忙しさだった。

広くない参道に出店がぎっしりと並び、奥で阿波踊りをしていた。

見物する余裕もなかった。

 

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六、四国遍路の旅(5)高野山 その一

ケーブルを降りて、まっすぐ奥の院に向かう。

参道入り口に立ち、一礼して入る。

参道は広くて、道沿いにぎっしりとお墓がある。

 

墓石には日本史に名を留める人たちの名が刻まれていた。

他には誰もいない。

背中の荷物のきしむ音と虫の声しか聞こえない。

地下で眠る先人たちを偲びながらゆっくり進む。

 

お、汗かき地蔵さんだ。

僕を守ってくださるお地蔵さんじゃないか。

 

奥の院についた。

懐の十円玉を集め、お線香を買う。

 

おなかがすいた。

よし、お大師様と一緒にあれを食べよう。

カバンの中から後輩にもらったカンパンを取り出す。

残り少ないのでお大師様に二つ。

御影堂の前の、様々なお供物の間にのせる。

 

南無大師遍照金剛

 

日もとっぷり暮れてしまっている。

夏なのに、少々肌寒い。

今夜はここで寝る。

 

 

朝5時半にお寺の鐘が鳴った。

起きて、一晩お世話になったお礼に公衆便所を掃除することにした。

 

気合いを入れて三時間。

それから納経所に行き、仕事をいただきながら旅をしているお話を聞いていただいた。

 

「あそこにいるのがお偉いさんや。あの方に聞いて見なさい。」

 

その方のところへ行き、お金はいらないので弘法大師様の前で仕事をさせていただけないかどうか伺ってみた。

 

「そうか、仕事ないな。ただで泊めてもらって仕事ももらおうなんて身勝手な話しだ。」

 

え?

 

(写真は永平寺)

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六、四国遍路の旅(4)車中

あの山奥に鉄道を敷設した南海電鉄に改めて敬服した。

山奥の奥の奥の・・・そのまた奥の高野山。

電車がギシギシきしみながら、曲がりくねった道を登って逝く。

 

いくつものトンネル、トンネルを抜けると、数十メートルの谷に橋が架かっていて、その橋の終点にはまたトンネルがある。

そこも抜けると、崖に沿って走り、崖の途中に駅がある。

民家は・・・何と、百メートル近く崖下の谷間に集落がある。

最終駅“極楽橋”には民家は見えない。

 

なぜ、ここまでしか行かないのか。

勾配30度以上あろうかというケーブルカーが待っている。

スキーでは滑れそうにない。

 

本当にこんな山中に寺があるのか。

 

驚き通しである。

 

途中から乗ってきたご夫人が、網棚の上に箱をあげた。

遠くから見たところ、『ミスタードーナツ』かなにかの箱だ。

しばらく気にも留めなかったが、かなり奥の小さな駅で買い物の荷物とその箱を持って降りた。

 

なるほど、あれは子供たちへの街の香りのお土産だったのか。

 

田舎の子供には、ケンタッキーとかドーナツとか、ああいった類いのものは特別の思い入れがある。

僕も小さい頃、札幌へ行ったら一度は必ずケンタッキーに連れて行ってもらい、街の味を味わって満足したものだ。

きっとみんな大喜びだ。

子供たちの顔が目に浮かぶ。

 

高野山は金剛峰寺の『奥の院』に弘法大師は鎮座まします。

四国札所八十八カ所は、大師の足跡を印したところだ。

順番に寺を回り、お経を上げ、お札をおさめて、帳面に納経していただく。

 

僕も出発点を和歌山の高野山とする。

『同行二人』の旅といわれるが、それは自分とお大師様と、二人で歩く意である。

まずお大師様にお会いするため、奥の院参拝から始める。

そこから一緒に歩いてくださるのである。

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六、四国遍路の旅(3)名古屋

名古屋駅について、残りのお金できしめんを食べた。

 

おまわりさん、住宅街はどちらでしょうか?

 

名古屋の駅を出たが、どこへ行けばいいのかわからない。

駅前は、地方都市とは思えないような太い道と、ビルや商店しかない。

ここで仕事をしないと、先へ進めない。

 

名古屋というと、僕には独特の先入観がある。

自分の数少ない体験で判断するのはおこがましいが、他所者を受けつけないというか、地元意識が強いような気がする。正直言って、名古屋で仕事がいただけるかどうか非常に不安だ。この偏見を払拭する出会いがあるといいが。

 

こんにちは!突然ですみません。実は・・・

 

「うち、もうすぐ壊すんです」「他あたってください」「今、忙しいの」「お盆だからねえ」

 

もうこれ以上やっても駄目だ。

気持ちが暗くなってしまう。

 

旅館みたいな建物があったので、最後に飛び込んだ。

奥様は、今から出かけられるところだった。

仕事はいただけそうもないが、障子の破れているのがあるそうなので、これも何かの縁だと思い、「障子紙だけ置いて行きます」と申し出た。

 

これから出かけますけど、すぐ帰りますから、直しておいてくださいますかしら?

 

この土壇場で仕事をさせていただけるとは!

窮すれば通ず。神様!

 

最初は補修だけの予定が、どんどん増えて、作業は夜9時までかかった。

 

「お昼どうぞ」「今晩寝るところは?」「泊まって行きなさい、晩ご飯用意しますから」「お風呂入って、朝はゆっくりおやすみなさい。お昼にお弁当作ってあげますから」

 

情けのこもった言葉が次々とかかる。

砂漠にオアシス、地獄に仏。

 

ご主人はお忙しそうで、帰るとまたすぐに出かけられた。

お話もできずに、ご挨拶だけさせていただいた。

夜に奥様が、ご主人からとパーカーのペンをくださった。

箱の中に名刺があり、「名古屋市議会議員」と書かれていた。

 

朝は少し早起きして、庭を掃いた。

ご主人の出かけられる前に、ご挨拶させていただいた。

「うちは子供がいないから」と、そればかりおっしゃる。

お礼の言いようもない。

お昼のお弁当をこしらえていただいて、バスで大阪ヘ行き、なんばから南海電鉄で高野山に登った。

 

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六、四国遍路の旅(2)小田原

小田原の海は大しけである。

怖くないのか、子供たちは大波と戯れている。

 

いい天気だ。

右には伊豆半島、左には湘南海岸が見える。

前は水平線、その向こうも水平線。

ずーっと向こうにはアメリカがあるか。

 

海は昨日までの雨のせいか濁っている。

ここはいい天気だが、東京方面に低い雲が足早に流れている。

向こうはどうだろうか。

 

終点の小田原に着いたとき、電車の中で眠っていた。

ある紳士が起こしてくださった。

僕だったらわざわざ電車の中まで他人を起こしに行くだろうか。

お礼を言って、話し始めた。

 

その方は毎朝お経を唱え、週に一度は二万百字もある観音経をあげる。

二度の戦争に行かれた時、お母様にいただいたお守りを持って行き、無事帰られた。

戦後数十年経って、初めてその中身が米粒ほどの大きさの文字でぎっしりと書かれた観音経であることがわかったそうだ。

亡くなられたお母様の「他人には優しくしなさい」という言葉が、今も頭の中から離れないとおっしゃった。

 

海の監視員の真っ黒い顔の男性に話しかける。

昨日までは3つ低気圧が並んでいて、今日は一つは北海道へ、一つは大阪の方へ行ったので、ちょうど真ん中のここだけ良い天気なのだそうだ。

なんという幸運。

それに、昨日中止になった大松明が今晩7時からある。

海の霊を鎮めるお祭りだそうだ。

どうせ急ぐ旅じゃなし、一日くらいいても良いだろう。

それにしても、監視員は黒人みたいだ。

 

かなり大きな松明だった。

10メートルくらいあろうか。

最初上の方に火をつける。

あとで下から点火して、全体が火に包まれて行った。

正面の空は星が輝き、東京の上空では雷雲が稲光りしている。

波は高く、海岸で白く砕けて2メートルくらいも躍り上がる。

左右には沿岸の街の灯りが点滅している。

火柱の両脇には古くなった卒塔婆が燃やされ、海に流された灯籠が波間に見え隠れしながら少しづつ沖へ向かう。

 

火をつけた線香は砂浜に絵や字を書くようにたてて遊ぶ。

それが供養なのです、と説明された。

数年前に海で遭難した友人の父に手向けよう。

線香で彼の名前を書いた。

 

夜は閉店後の海の家の縁台で波の音を聞きながら寝た。

夜中に若い男に起こされた。

 

誰だ?どっからきた?

 

ねじり鉢巻の男はいろいろ聞いてきた。

 

ほう、そうか、気に入った!実はおれも家がボロいから小さいときから暑いときは浜で寝るんだ。朝方は寒くなるから、ほら、毛布持ってきてやったけど、寝袋あんならいいな。じゃ、おやすみ。

 

 

あるだけのお金で切符を買った。

名古屋までだった。

 

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六、四国遍路の旅(1)東京

寮を出て三日目。

 

出発のときから降り続いている雨は一向にあがる気配はない。

二日間、30キロの荷を背負い都内をうろつき回ったが、まだ勝手がつかめない。

荷物はだんだん重くなり、気持ちも沈んで行く。

出がけにいただいたたくさんのおにぎりも底をついた。

まだ東京を出られない。

 

今朝から何軒か廻ってみたが駄目だ。

神社の軒下で雨宿りをしながら、後輩たちがくれたビスケットで朝食。

あまり食欲がない。

 

鳩がきた。

食卓はにぎやかな方がいいので、砕いてやる。

するとどんどん増えてきて、雀までやってきた。

足がしびれたのでひょいと立ったらみんな逃げてしまった。

じゃあ行こうかと、目の前の家に声をかけたら神主さんのお宅だった。

 

私:おはようございます

 

どうぞ

 

遠くから声がする。

障子で仕切られていて見えないが、かまわずふすまキャラバンの主旨をお話しした。

 

ちょっと見てくれ

 

声が近づいて来たときはドキドキした。

教室の押し入れ4枚と洗面所の壁紙のご注文。

ありがたい!やっと仕事をさせていただける。

お昼にはそばを、三時にはアイスクリームとお茶を差し入れしてくださった。

昨日までの八方ふさがりの心境が一転して天国にいるようだ。

 

あとで伺ったところによると、この教室は今年中に取り壊す予定になっているそうだ。

仕事を終え、お金をくださる時、なぜすぐ壊す部屋のふすまを僕に張りかえさせてくださったのか聞いてみた。

 

君を応援したくて

 

神主さんはおっしゃった。

 

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ふすまキャラバン

中国に来て14年。

身一つで転がり込み、文字通りゼロからのスタート。

こちらに来てから家を成し、事業を成し、今がある。

 

少なからぬ人から、中国人は信用できないとか、騙されたとか、そんな話を聞く。

ただ、私の場合は人を信じることによってこれまできたように思う。

小さい頃祖父が言っていた、「騙すよりは騙される方がいい」という言葉が今も心に染み付いている。

 

事業を進める方針も、 いかに相手から有利な条件を引き出し利益を上げるか、ということよりも、 いわゆる『三方良し』、お客様も喜び、スタッフも喜び、それが社会にとっても有益であるという前提で歩んできていると思う。

 

なぜだろう、私の周りには信頼できる人しか縁が続かない。

腹に一物あるような人は近づいて来ないか、きても自ずと離れてしまう。

恐らく、 人というのは臭いがあって、 同じような臭いのするところに引き寄せられる習性があるのではないか。

 

私が東京に住んでいる頃、 早稲田大学ホームサービスグループに所属していた。

そこで私はふすまの張り替えなど内装の仕事で学費や生活費をみんなで稼ぎ、 堀越先生の薫陶のもとで学生生活を送った。

 

打算を捨てろ

 

よく先生がおっしゃっていた。

今の世の中、「夢を持て」とか「目的に向かって計画的に行動しろ」という言葉にうなづく人が多いが、私はあえて言う、「夢や目的なんて捨ててしまえ!」

 

目の前の課題に全力で取り組みなさい。道は自ずと開ける。

 

今しなければならないことを真剣にやっていれば必ずそれが次のステップを導いてくれる。

どんな難題も、乗り越えたあとにはそれは自分の大きな力になっている。

だから、夢や目的が定まらないというのは決してかっこうわるいことじゃない。

逆に、課題を解決してゆくうちに自ずと夢や目的は生まれてくるものだ。

 

グループ時代に『ふすまキャラバン』という企画があった。

ふすま張りの道具と多少の材料を担いでお金を持たずに各自の目的地まで旅をする、という企画。

このふすまキャラバンが私の信念、堀越先生の『打算を捨てろ』という教えの象徴ともいえる。

 

メンバー数人の旅の記録を集め自費出版した、私にとっても唯一の出版物である。

いま、 現代の若者(日本人中国人問わず)に一つの生き様を伝えんと思い、完成された出版物を電子文字にして新たな命を与えたい。

同時に自分の若き頃を追想してみたくなった。

                              2016/4/8未明

 

早稲田ウィークリーの記事

http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2011a/1247/247e.html

 

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スマホがないと成り立たない中国

今週から小学一年生の宿題の一部がスマホのアプリになった。

英語の単語や単文の発音練習、アプリを開いてサインインし、スマホの発音を聞いて自分も発音する。それは録音され、先生もチェックできるというシステムらしい。

今の中国では、スマホがないと子供の宿題ができない。

上の子が入学したときにはまだ携帯の一斉メッセージで先生からお知らせがきたが、

今では全てwechatに切り替わり、クラスのグループに属さないといろいろ都合が悪い。

中では専業主婦のおしゃべりから先生の一言にいかに早くお返事ヨイショをするかという世界で私は見たくもないので家内にお任せしてる。

スマホは便利、の時代からさらに今やスマホがないと困る時代になった。

 

そんな中でも中国らしくておかしいのは、

英語の教科書を購入したときについている副教材がなんとカセットテープという前近代的なシロモノ。

ビデオテープの時代を経ずしていきなりdvdが普及した中国、固定電話をすっ飛ばして携帯が必需品となった中国で、いったいどこの家庭にカセットテープレコーダーがあるというのだ?

ラジカセなんて日本でも死語、中国でなんて生まれさえもしなかった言葉。

恐らく99%の上海の家庭ではテープではなく教科書のサイトからダウンロードするなりオンラインなりで聞いていると思う。

しかし、それでは毎日聞いているかどうかは先生も把握できない。

こういうアプリになると誰がやってないかすぐに先生にわかってしまうので一定の強制力はあると思う。

でも、正直小学一年生にここまでがっちり宿題をやらせる必要もあるのかなあ、とも思う。

 

うちなんか双子だから、一人につき一つの携帯番号が固定されるので、宿題が一緒にできないのはちょっと面倒。一人が終わって、一度サインアウトしてそれからもう一つの携帯番号でサインインする。

学校の先生はいい生活習慣を身につけること(つまり宿題をちゃんとやること)が子供のためになると親の尻をたたくが、私は奴らをいかに遊ばせるかということに腐心している、不良親ということになるだろう。

 

(写真は去年、北京郊外にて)

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