本物と偽物
日本では考えられないが中国では常に気になる。
目の前に売られているものが本物か、偽物か。
偽物は買いたくない。本物を買うためにはどうしたらいいか。
信頼できる人に紹介してもらうくらいがせいぜいできることですが、
それも一過性のものに過ぎず、
つまるところは自分の眼力を高めるしかありません。
食べ物でも賞味期限が切れたら捨てるのは馬鹿でもできます。
まず開けてみて、臭いを嗅いだり、色を見たり、触ってみたり、五官を使って確かめる。
そうすることが地球の限られた資源を大切にすることでもあり、いたんだものを食べないということが本来の自己を守る力でもある。
判断力というのは本を読んで身に付くものではありません。
自分で体験して、その体験を重ねることではじめて自分なりの判断基準ができる。
現代社会はその判断基準を身につけることをさせないように、製造者や販売者に責任を負わせることで一見消費者を守っているように見えますが、
実はそうして消費者に判断させないことによって企業や工場の利益を守っている、ともいえます。
おや、ちょっと脱線してしまいました。
つまり、本物を買う、いいものを買うためには人に頼らず自分の眼力を高めるしかない、ということ。
そのためには、偽物をつかまされるのも言い方は悪いですが「勉強」だといえます。
勉強するためには授業料が必要です。
いわば買った後でその価値がないとわかったとしたら、買い物失敗ではなくそれは授業料を払ったという訳です。
だって、それを買わなかったらそれが偽物だってわからないわけですから。
そう考えると腹立たないでしょ?
失敗を恐れず、いいと思ったものは買ってみる。
使い込んでいるうちにおのずとわかる。
それから次のステップに踏み出せる。
そうして最後までたどり着く人が、本物を手にする価値のある人だともいえます。