中国茶的日々

2005年に上海田子坊で中国茶の店『臻茶林』を始める。北京南鑼鼓巷、浙江省烏鎮、江蘇省天目湖に支店。

どこへゆくのか日本

私は今の状況は欧米的資本主義の末期だと思います。

企業は永遠にコストダウンし続けなければならない。
労働力の安いところ、果ては機械化、
人は少なければ少ないほど利益が出る。
なら人がゼロになれば最高利益になる?

 

人ありきの社会じゃなく、金ありきの社会で人はそのツールに過ぎないというのが私のいう欧米型資本主義です。
ならばこれからどうすべきなのか、
それは日本型の資本主義に世界を変えなければならない。
 
昔は終身雇用とか、年功序列とか護送船団方式とか、
ゼネコンの談合とか価格協定とか、
そういうのが日本を戦後の混乱から救い出してきたと認識しています。
それがバブルの崩壊で(私は仕組まれたものだと思いますが)リストラだ、合理化だと
これまでの日本を作ってきたぬるい構造を叩き始め、
社員をクビにしコストダウンの方向に皆舵を切り始め、
マスコミは癒着だ談合だとこれまでの料亭での事前の打ち合わせを暴露し始め、
ギスギスした世の中になっていったような気がします。
 
でも本当にそうなのか?
透明性はどこまでも真実なのか?
人に見せられない部分って実は結構大事ではないかと思うのです。
俺たちお互い厳しいから、今回はオタクに回すけど次回はうちにさせてくださいとか、
業界内での思いやりは必要じゃないでしょうかね。
じゃないと露頭に迷う人が増えませんか?
コストの高い会社は潰れるのが当たり前、
自己責任でしょうかね。
 
信頼を基盤に社会が成り立っていた日本が、
どんどん透明化されることでなんかギスギスしてきたような、
騙されてるんじゃないかとか、あそこは暴利を貪っているんじゃないかとか、
最近は猜疑心でいっぱいの国になっちゃった。
昔は道を聞かれて案内してあげたら褒められた社会。
今は道を聞かれて案内したら怒られる社会。
私は昔の方が好きですが、それは単なる加齢による懐古趣味でしょうか?
密室で相談するのがいいことだと思うのは狂人でしょうか?
 
仕事のできないやつも職場にいてもいいじゃないですか、
いつも上司に怒られてる、そういう人も実は必要なんじゃないですか。
そいつがいなくなったら今度はこっちが言われるかもしれない。
そいつがいるとなんかホッとするかもしれない。
そいつのいれるコーヒーが結構うまいかもしれない。
 
そういう人はコストダウンでリストラされてしまいました。
無駄のない社会、面白いと思いますか?
面白くない場所にいて、楽しく仕事ができますか?
仕事が楽しくないのは苦痛じゃないですか?
精神的な苦痛は体を蝕みます。
心と身体は別々のものではありません。
 
世の中には無駄が必要。
山には色々な木や動物が必要。
杉だけ植えたら生態系が変わって花粉がすごいことになりますよね。
その無駄だと思われてきた部分は、実は全体にとってすごく大事で潤滑油のような役を果たしているんだと私は思います。