中国茶的日々

2005年に上海田子坊で中国茶の店『臻茶林』を始める。北京南鑼鼓巷、浙江省烏鎮、江蘇省天目湖に支店。

託老所

 

すでに中国も今後急激にやってくる高齢化社会を見据えて動いているようです。

中国の都市部はほぼ集合住宅で、いくつかの棟が集まって「小区」といういわば町内会のような単位を構成します。
上海市徐滙区のある小区の入り口に「託老所」なる場所があり、リコッキョウさんが訪問したというニュースがありました。
老人ホームのデイケア部分を各町内会に設けるような感じですね。
そこで皆さんはスマホの使い方を教わったり、囲碁や将棋、書道など趣味の時間を共有したり、
栄養士の作る食事も食べられるそうです。

老人介護施設が足りなくなる前に、なるべく高齢者の在宅環境を整備しておこうという狙いだと思います。


日本は家族の距離がずいぶん遠くなってしまった今、
地域のコミュニケーショ ンがますます重要になるはずです。


およそ命は孤立すると収束に向かうと思います。
せっかく授かった命、
周囲とかかわりあいながら楽しく最後まで行きたいものです。

 

中国と日本の”うち”

日本語で”うち”というのは必ずしも家のことだけではない。

「うちのほうでは」自分の故郷を指すし、「うちの会社」「うちの学校」を意味する”うち”例えば「うちにはそういう人はいませんねえ…」などは自分の所属する共同体を指す。

目に見えない境界線があって、その線から自分側は”うち”、それ以外は”ほか、よそ、お宅”などになる。

 

中国でもその境界線はあるし、うちとそとの区別は日本より強いように感じる。

うちのつながりはより強く、そととの関係はより排斥的になる。

こちらでは毎年旧正月には都合がつく限り必ず帰省し家族で正月を過ごす。

日本もかつてはそうでしたね。

 

あと、中国はうちの者同士で共有しようという意識が強い。

例えばお酒を飲むとき、

日本は最初の乾杯が終わるとあとはマイペースで飲む。

中国はずっと乾杯が続く。グラスを持ったらたいてい誰かを誘って2人以上で乾杯、一人で淡々と飲む習慣はない。

 

たばこも、日本だと吸いたいときに吸える場所へ吸いに行く。

中国は煙草を勧めるのがマナー、男ならまず相手に煙草を勧める。

たばこを吸わないのに煙草を持っていて、客に煙草を勧める営業マンもいた。

何人かのグループでは、誰かがタバコを取り出して全員に自分のたばこを配る。

 

思うに、それは”うち”と”そと”を分けるためのツールとして使われているようである。

煙草を共有したり、お酒で乾杯したりすることでお互いに”うち”であることを確認あるいは相手にPRして、身内意識を醸成しているのだと思う。

 

あるいは、中国人がバイキングの際に食べきれないほど料理を取って大量に残してしまう問題の根も、そのあたりにあるのかもしれない。

日本だとおかずは一人分ずつあらかじめ取り分けてあるが、

中国はいくつかの大きな皿にそれぞれ違う種類のおかずを盛り、みんなでいただくのが普通で、自分の分だけ準備するという習慣がない。

日本人には自分の食べられるだけのおかずを取り、残さないようにいただくという常識がある。

中国人はおいしそうなものをみんなで一緒に食べようという気持ちが普通なので、それが料理を取るときに自然と食べきれない量になってしまう。

逆に自分の分だけとってきて食べる人は”うち”の中ではちょっと違和感を感じる。

 

中国での人と人との距離感は”うち”がわでは日本より近い、あるいは昔の日本に近いといえると思う。

今の日本の親子関係は、こちらにいる私から見るととても家族とは思えないほど疎遠に見える。

気の使い過ぎ?

もっと甘えてもいいんじゃないの?

家族なんだから。

でも今の日本は個人を尊重する社会であり、親や子供の生活にあまり立ち入らないことがいつからか常識になってる。

 

これはいい悪いの問題じゃなく、最後は好き嫌いの問題だと思う。

日本にいるときは当たり前と思っていたが、中国に来て改めてそう思うようになり、

そして私は多少面倒くさいけれど家族の関係が強い方が好きだ。

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福建人が中国国内でも嫌われている件

以前から日本で犯罪に関わる人が多いと嫌われている福建省出身者。

 

私は個人的にはなに人はどう、という十把一絡げのものの言い方が嫌いです。

中国人に「日本人はこうこうだ」と言われたり、こちらにいる日本人が「だから中国人は・・・」というのを聞いたりするたびに、日本人だって人によってはそうじゃないと思うし、中国人だってそんなのばかりじゃない、と思うからです。

日本にだって時間にルーズで言い訳上手で責任転嫁ばかりしてうそついて人を騙して自分のことしか考えない人、いますよね。(在中駐在日本人の中国人評価はこんな感じが多いです)

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乗り捨てレンタサイクルが上海にできました

上海には以前から自転車シェアシステムはあった。

街の各地に専用の駐輪場があり、規定時間内であれば無料で自転車を利用できる。

観光地だけでなく地下鉄駅のそばやビジネス地区、居住地区などにも設置され、

出勤退勤の際の自宅から地下鉄駅まで、駅から会社まで、シェア自転車が無料で利用できるサービスは上海だけでなく中国の至る所にかなり普及していた。

 

しかしそれは駐輪場が利用しやすいという条件でのことであり、

初めと終わりは必ず指定の場所に行かなければならずそのため利用する人は限られていた。

 

ところが最近はなんと、乗り捨て可能なシステムができた。

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九星市場の終焉—カオスが駆逐されて行く上海

ついに来たXデー。

九星市場は上海最大の、おそらく全国規模でも有数の建材市場。

2㎢くらいの敷地にびっしりと店が並んでいる。

中にはホテルレストラン用品市場、食料品市場、お茶市場、照明や内装、家具、家をたてたり買ったり店を開いたり、そういうときにここにくれば何でもそろう市場。

取り壊しの声を聞いて数年経ったが、ついに期日が確定した。

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六、四国遍路の旅(13)橋の下

鶴林寺についたのは夕方だった。

午前中はふもとの遍路宿で障子を張らせていただいた。

金子屋さんといって、明るい笑い声が外まで響いてくるようなお宅だった。

そこを出てわずか4キロの上り坂だが、30キロの荷物を背負っての道のりは厳しく、2時間を要した。

 

重い荷物もいいところはある。

荷を下ろすと途端にスーパーマンのように空を飛ぶ心地になる。

竹ぼうきをお借りしてタタターッと階段を三段跳びで駆け上がっても汗もでない。

ササッと掃いて山を降りた。

 

次の太龍寺までは谷をひとつ越えて行く。

そろそろ寝るところを探さねば。

 

谷底につくと村はあるが店がない。

大きな橋に出た。

日も暮れてしまった。

今夜は橋の下で寝る。

雨も大丈夫だろう。

 

夕食はジュースとカンパンと梅干し。

口の中でボソボソになり,あまり食べられない。

空腹のままだが、もう寝よう。

 

昔、故郷の稚内の空で、よく人工衛星を見つけた。

今夜は月がない。

たくさんの星の間を緑と赤の光を点滅させながら飛行機が飛んで行く。

流れ星がいくつか見えた。

空よりも周りを囲む山が黒く、川の音と虫の声とが絶えることなく聞こえてくる。

夜の空気はもう秋になっている。

昼はまだまだ暑いのに。

 

気がつくと山の上に満月を過ぎた月がある。

月影とはこんなに明るいものなのか。

 

そのうち霧がかかって来たのか星も少しづつ減ってゆき月もどこかへ行ってしまい、周囲の音も遠のいていった。

 

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六、四国遍路の旅(12)パンツ事件

お題「今日の出来事」

中田という駅で寝た時のことだった。

 

待合室に荷物を置き、銭湯に行った。

 

小さな風呂で、僕と地元のおじさんと二人しかいなかった。

 

身体を流していると、高校生が7〜8人どやどやとパンツをはいたまま入って来た。

この風呂は二階の卓球場のシャワー室も兼ねているのだろうか。

それにしても・・・

 

彼らはいい湯加減なのにアツいアツいと水を入れ、終いには水の掛け合いを始めた。

いくらなんでもたまらず、「いい加減にしなさい、人の迷惑も考えろ!」と言うと黙った。

すると隣りのおじさんが「いいんだよ若いんだから何しても・・・ただ風呂にパンツをはいたまま入るのはいかん・・・」

ぼそぼそと言い続けているが高校生は知らぬ振りで遊んでいる。

やはりここは日本の公衆浴場に違いないのだ。

煮え切らぬおじさんに腹が立って来て僕は立ち上がり、桶に水を汲んで「ぬげ!パンツを脱げ!お前らそれでも日本人か!見られたからって減るもんじゃなし,お前らそんな仲なのか!早く脱げ!その場で脱げ!!!」

久々に怒鳴りつけた。

そのうち一人が「お、俺の見たらみんなショック受けるかと思ってよ、よし、脱ぐぞ!脱ぐぞ!」と言ってもぞもぞやり出した。

他の連中も脱衣場に行ったりその場で脱いだり、のそのそと動き出した。

全く、非常識な奴らだ!

日本はどうなるのだ!

でも彼らの明るさはこちらの心も和ませてくれる。

叱った後もすがすがしい気持ちだった。

六、四国遍路の旅(11)別れ

朝6時半起床。

むこうずねが張って痛い。

 

7時出発。

おヒゲさん、僕、メガネさんの順で歩く。

 

20キロの行程、途中一度だけしか休まなかった。

 

道中おばあちゃんから「ウチのそばやったらスイカでも切るんやけど」と言われる。

そのお気持ちいただきます。

 

心のお接待。

 

道で会う中高生は皆元気に挨拶してくれる。

こちらも負けずに返事をする。

 

道のわきで一服している工事の方に挨拶する。

その方が飛んで来てジュース代と言ってお接待くださる。

 

まだ開店前の茶屋で休んでいると、中から店の方が出てこられ冷えた梨をお接待してくださった。

その心地よいこと。

 

いよいよ十三番大日寺に着いた。

四時間で20キロ歩いた。

ここから3人バラバラになる。

僕は荷物で遅くなるし、お二人にはそれぞれの都合がある。

 

名残は尽きないが、いずれどこかでまた会わんその日まで。

お元気で。

素晴らしい時をありがとう。

 

各自思い思いに出発した。

 

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六、四国遍路の旅(10)柳水庵

こんな山奥、てっきり無住の庵と思い込んでいただけに本当にびっくりした。

 

庵の濡れ縁にお邪魔してお茶をいただく。

熱いお茶、凍てつくほど冷たい和菓子、なんと心憎いもてなしであろうか。

千利休の伝えた侘び寂びをこの山中で体験しようとは・・・

 

本当に心のこもったお接待、人をもてなす心を教わった。

 

この旅の目的は南だろうか。

遊ぶためじゃないし、襖を張ることでもない。

学びにきたのか?何を?

方言や地域性を調べにきたわけじゃない。

人の情けか。

わざわざ旅に出なくとも学ぶことはできるじゃないか。

 

あの山中の柳水庵で受けたお接待は心の底から嬉しかった。

あの感動は何物にも代えられない。

これほど人に衝撃を与えるのはなぜ?

本来あそこでお茶を出す必要なんてない。

必要にかられて行動するだけでは駄目ということか。

真実とは、あの気遣いのことだ。

他人を自分と思って、自分だったら嬉しいと思うことをしてあげる。

それは取りもなおさず、自分の存在価値ではないか。

 

最後の十キロは川沿いに下る道だった。

いろいろ考えながら時々見る川は、見るたびに大きくなっている。

自分も今はあるのかないのかわからないような小さな流れだが、

やがてはこの川のようにどこまでも透明な、力強い、人々になくてはならないそんな川になる。

そしてゆくゆくは大海に注ぎ込み、海と一体になってより多くの人々の役に立つ人間になりたいものだ。

 

山路を同行した先の遍路僧二人とともに、旅館に着いたのは5時半。

夜はまた話しに花が咲いた。

 

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六、四国遍路の旅(9)苦しいときは声を出す

この旅でいつもハッとすることがある。

それは出会った方々の人に対する心遣いが隅々まで行き届いていることだ。

「お接待」

耳慣れない言葉ではあったが、この言葉の意味を行く先々で思い知らされた。

この日偶然おヒゲさんとメガネさんと一緒に宿し、翌日3人で16キロの山道を歩くことになった。

すごい山道である胸突き八丁ばかり。

 

話しは変わりこの7月、グループで合宿をした。

班長の僕は一日中号令がけだ。

「気をつけ!」

「休め!」

「グズグズするな!」

「走れ!」

本当につらいときは大声を出しなさい。

疲れたら返事を大声でしなさい。

いつも先生に言われていてもわかったようなわからないような・・・

 

でもこの山道を越えるにはどうしよう。

思い切って声を出してみよう。

「もうすぐです!」

「元気出してください!」

「滑ります!」

でるでる、声とともに元気が。

お坊さんより僕の方が元気だった。

 

托鉢の精神を養うために出たこの旅で、今までいろいろと教わったそのお返しをお坊さん二人にできた気がする。

「グループの名誉にかけて受けた恩は必ず倍にしてお返ししなさい。」

先生のお言葉が頭をよぎる。

倍にはなっていないが・・・元気を出していただいて山道を登った。

 

この山中に柳水庵という寺?小屋?があった。

水は昔弘法大師が杖をたてて出したというだけあっておいしい。

頭からかぶって靴も脱いで足にも水を含ませベンチで休む。

 

「暑いですねえ、どうぞこちらへ」

 

びっくりした。

 

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(写真はイメージ。柳水庵ではありません)

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幼稚園の始業の鐘が鳴ってしばらくして、拓也は意気揚々と教室に戻ってきた。 

「拓也君、何してたの?」 

拓也は得意になって先生を遊具保管場所へ案内した。 



休み時間、仲間と積み木遊びをしていた拓也は始業準備の鐘を合図にみんなで片付け始めた。
子供の頭ほどある大きな積み木を、壁沿いに積み上げて片付け終了。 
教室に戻ろうとしたとき、ふと『この積み方じゃ地震が来たときに倒れて危ないな』と思いたち、一人残って積み上げた積み木を床いっぱいに並べ直した。 
これで積み木が崩れて誰かが怪我をすることもない。 

「拓也君、どうしてこんなことしたの?」 

足の踏み場もないほどに床いっぱいに広げられた積み木を見て、先生は拓也を責め始めた。 
先生の反応は拓也にとって予想外だった。 
みんなの安全のために授業時間が始まっても残って積み木を床に並べたのに、 
どうして先生はこんな怖い顔で怒るんだろう? 

弁明が喉で嗚咽にかわり、 
止まらない悔し涙が拓也の袖をびしょびしょにした。

 

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六、四国遍路の旅(8)お坊さんと

翌日、午後三時くらいには後片付けも終わった。

おばちゃんたちとも今日が最後である。

昼休みにはやっと気が抜けたのか、おばちゃんたちのカラオケ大会が始まった。

お鉢が廻ってきては大変と、そそくさと退散した。

 

夜は、僕の他に若いお坊さんが二人泊まった。

一人は曹洞宗、一人は真言宗だ。

寺の息子さんも交えて、四人で話しをした。

座禅を組んでて何を悟りましたか?とのっけから鋭い質問。

平和とか難民救済とか、夜遅くまで話していた。

 

朝、安楽寺出発。

お世話になった方にお礼を言って廻る。

皆さんが「もっと居なさい」と言ってくださった。

 

いざいかん!

でも、あれはどうしよう・・・

 

奥様がいらっしゃって、これをもっていきなさいとお金を包んでくださった。

ふすまの仕事もせずに三日も泊めていただいて、悪いような気がした。

 

「いいからもってき!」

 

一瞬にして巨万の富豪になった気がした。

 

次のお寺までは安楽寺の方が車で送ってくださった。

今日はいい天気だ。

昨夜一緒にお話しした若い二人のお坊さんは歩いて出発した。

八番の法輪寺でお参りをして、あのお二人もこちらで一休みされるだろうと思い、お寺の方にお願いした。

 

「一人はヒゲ、一人はメガネの若い二人のお坊さんが来たらこれでお茶でもお出し願えませんか。」

 

「いらんいらんおかねはいらん!」

 

お接待を拒まれ、そのまま僕は次のお寺に向かった。

途中小さなお地蔵様のほこらがあったので、先ほどお渡しできなかった千円を賽銭箱に入れた。

 

道に迷いながら、休みながらも九番の切幡寺についた。

ついてからもすごい階段がある。

依然として軽くならぬ荷を背負いながら、登りきった。

 

なるほど高いだけに景色はいい。

お参りとお納経をすませると、メガネのお坊さんが登ってきた。

 

「先ほどはお接待いただきましてありがとうございました」

 

前のお寺でぶどうとジュースを僕からだといって出していただいたそうだ。

 

僕のお金を受け取らずに心を受け取ってくださった。

 

メガネのお坊さんがお参りしている間、僕は頭から水をかぶりながらそう思った。

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六、四国遍路の旅(7)四国

一番霊山寺。

お遍路さんは白い上下を来て杖と傘を持つ。

僕は買えないのでTシャツに大きなリュック。

何しろ人が多いので、すぐに出る。

 

三番の金泉寺でお参りしていると、一人の遍路の女性が近づいてきて、「お接待です。お昼にうどんでも食べてください。」と千円くださった。

びっくりして納経所へ行き住職さんにお話ししたら、そういうときは仏様におさめるお札をお渡しするのだそうだ。

お接待の意味を考えながら、しばらく庭の草取りをお手伝いさせていただいた。

 

四番五番と廻っているうちに雨が降ってきた。

雨宿りに駆け込んだのが、消防署の軒下だった。

バスで行った方がよさそうなのでしばらく待っていると、所の方が珈琲とお菓子を差し入れてくださった。

 

六番安楽寺で宿を借りる事にした。

大きな宿坊のあるお寺だ。

一昨日から風呂にも入らず固い床で寝ていたので、ここの大きな浴槽に浸かるとたちまち良い気分になった。

風呂で泳ぎながら都の西北など歌っていると、ご飯ですと呼ばれた。

 

翌朝、荷物をまとめて出発すべく玄関まで運んだ。

一泊三千八百円である。

全財産を調べてみると、三千七百七十円しかない。

南無三!

こういうときこそ笑顔を忘れてはいけない。

向こうから奥様がいらっしゃる。

 

「出発するんですか?実はうち明日お祭りがあるので、お手伝いしてもらうと助かるんやけど。」

 

やった!

一も二もなく承知して、また荷物を奥に運び込んだ。

 

安楽寺ではあらゆる仕事をした。

陽気な食事係のおばちゃんたちと準備や後片付け、庭で竹をとったり草をむしったり。

当日は何百人も泊まりにきて、目の回る忙しさだった。

広くない参道に出店がぎっしりと並び、奥で阿波踊りをしていた。

見物する余裕もなかった。

 

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六、四国遍路の旅(6)高野山 その二

全く想像もつかないお返事だった。

 

なるほど、仕事をさせていただくということは、こちらのわがままなのか・・・

先ほどの納経所の方にご挨拶して帰ろう。

 

「仕事ありませんでした。」

 

「そうか。兄ちゃん、ちょっと待ちなさい。」

 

その方はそう言って奥に入り、すぐに裏木戸の方から出て来て僕を手招きしていらっしゃる。

 

「これはお接待やから貰っておきなさい。」

 

なんと!

 

驚いたことに、お金を包んでくださった。

 

「いえ、何もしていないのにいただけません。」

 

「ええか、お接待はわしからじゃない、お大師様からなんや。断るのは失礼や、黙ってもらいなさい。」

 

こんなことがあるのだろうか!

お礼を述べて辞した。

多少目が潤んでいた。

 

帰りに掃除のおばさんに出会う。

 

「ああよかった、帰ったかと思った。」

 

と、おにぎりを持って来てくださった。

 

余ったら持って行くように言われ、嬉しくて「あまりません!」と答え

一気に6つ平らげてしまった。

 

「これもってって困るもんやないから。」

 

と大きな袋にいっぱいお菓子や何か入っている。

仏様のお下がりだそうだ。

その上新たにおにぎりを握ってくださった。

 

普通の旅行だったらこんなことあるはずがない。

この僕は僕じゃない。

堀越先生やグループの先輩後輩の身代わりなのかもしれない。

 

自分の存在価値とは何だろう。

先生は『日々是好日』が自分の周りに広がり、それが波及してやがて世界中が平和になるのが理想、とおっしゃっていた。

この時それを感じたような気がした。

 

再度、納経所の方にご報告とお礼に行く。

「お遍路の終わりにもう一度いらっしゃい」という言葉を胸に、山を下りた。

今年だけでは廻りきれない。

終わるのは何年、何十年先か。

 

これが僕の四国巡拝の第一歩だ。

今は既にお大師様と同行二人である。

持ち金は3三千円あまり。

 

 

不安はない。

ここまで来てしまえば、あとはどうにでもなろう。

 

和歌山港から四国の小松島へフェリーで行く。

 

坂東駅で一泊。

 

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写真は旭川

お題「昭和」